「あのふたりは高級車に乗っていたりとか、あるいはどこかに別荘を買うといった贅沢を、とくにしていたわけでもないのに、いつもカネがなくてピーピーしていた印象がある。彼らにはそれなりにまとまったカネが入ってきたはずだが、それが何に使われたのかはわからないままです」
当時17歳の少女が監禁状態から逃げ出したことで2002年3月に発覚。親族どうしに手をかけさせるなどして、計7人を殺害していることが次々と明らかになった「北九州監禁連続殺人事件」。この事件では主犯の松永太(62)の死刑、内妻である緒方純子(61)の無期懲役刑の判決が確定している。
暴力団と警察から追われ、身を隠しながら7名を殺害
冒頭の発言は、福岡地検時代に刑事部長、福岡高検時代には公安部長として、松永と緒方の一、二審に関わってきた元検事の牧野忠弁護士によるものだ。
「カネの流れが見えない。たしかね、なんとなく消えているんですよ。もし彼らがどこかにカネを流しているようなことがあれば、当然調べますから。けど、それはなかった。それに押収品のなかにも多額の現金はありませんでした」
松永が若い頃に福岡県柳川市で経営していた布団訪問販売会社「ワールド」時代まで遡ると、彼は1億数千万円を超える現金を得ていたと推測される。だが、事業に失敗して暴力団と警察に追われるかたちで柳川市から逃走し、身を隠す必要があった松永と緒方は、正業に就けないうえ、カモフラージュ用に複数のマンションを同時に借りるなどしていたことから、そのほとんどを逃走資金に費やしたと考えられる。
その渦中で、彼らは7名を殺害(1件は傷害致死と認定)したわけで、一審の福岡地裁小倉支部は松永と緒方に対し、05年9月28日に死刑判決を下したことは、前回すでに触れた。
一審の死刑判決について、松永は福岡高裁に即日控訴し、緒方は弁護団に説得されて10月11日に控訴した。07年1月24日に始まった福岡高裁での控訴審は、同年9月26日に判決が言い渡されており、松永の死刑は変わらなかったが、緒方の死刑は破棄され、無期懲役刑に減刑されたのだった。