“くびれの女王”と呼ばれ、2000年代前半にグラビアやバラエティー番組で活躍した杏さゆりさん。人気絶頂期に給料ゼロ円、そしてメンタル崩壊とこれまでの壮絶な芸能活動を振り返ってくれた彼女だが、実はプライベートでもDV男と交際し暴力を振るわれる日々を送っていた。数々のつらい経験をへて、現在杏さんがいたった悟りの境地とは――。(全3回の3回目/最初から読む

杏さゆりさん ©山元茂樹/文藝春秋

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「杏は絶対舞台をやったほうがいい」

――給料ゼロの事務所にいた杏さんですが一転し、大手事務所に入りますね。

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 イギリスからそそくさと東京に帰ってきたんですが、1年間は前の事務所との兼ね合いで、あまり働けなくて。存在を忘れられないようにと『落下女』という日テレのバラエティー番組を1本と、あとはちょこちょことグラビアの仕事をやってました。

――新しい事務所に入ってから出した写真集は2006年の「月刊 杏さゆり」くらいです。事務所的にグラビアからは離れようという感じだったんでしょうか。

 そうです。でも私としてはどんな仕事でもいいからやりたいと言ってました。例えば事務所側的にはNGなバラエティー番組にも出たいんですと言ったり、自分で取ってきた仕事もあったんですけど、断られたりして。

 でも2人目か3人目のマネージャーさんが「杏は絶対舞台をやったほうがいい」と言ってくれて。当時は映像から舞台に行くと都落ちみたいなイメージもあったので最初は断っていたんですけど「やってみよう」と思って初めて舞台に立ったんです。

「劇団カムカムミニキーナ」という八嶋智人さんが所属する劇団を主宰する松村武さんが作・演出する『燻し銀河』(08年)という舞台です。天王洲銀河劇場でやったんですけど、私の役はストーリーテラーで最初から最後まで出ずっぱりで。長台詞もあったし初めての舞台としては荷が重かったなって今となっては思いますけど、でもやりきったときの達成感が半端なくて。

©山元茂樹/文藝春秋

 もともと芸能界に入ったのは、小学生のときに演劇クラブを作って、演劇をやって楽しさを感じ女優になりたいと思ったからだったと、その舞台のときに原点を思い出したんです。

――初心に戻ったわけですね。

 大手事務所も26歳の時に辞めて、フリーになるんですけど、1人になったら舞台の大きさ関係なくお仕事を受けられるじゃないですか。事務所の時は大きい舞台にしか立てなかったから小劇場もやってみたいと、小劇場のお話をいただいていたら、お仕事が回るようになって。のらりくらりと今、独立して13年がたちました。