“くびれの女王”と呼ばれ、2000年代前半にグラビアやバラエティー番組で活躍した杏さゆりさん。日本中の男性を虜にした彼女だが、人気絶頂期の給料はなんと10万円。さらに所属した芸能事務所により給料をゼロにされてしまう。精神的に追い込まれ、ついには躁うつ病とパニック障害を併発していたという――。(全3回の1回目/続きを読む)
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「めちゃくちゃクビレがいいね」人気に火がついたヤンジャン
――そもそも芸能界入りのきっかけは。
杏 中学生の頃、竹下通りでスカウトされました。女優になりたくて、演技がやりたいと言っていたんですけど、当時の社長から「売れたら何でもできるからとりあえず水着になっとけ」と言われて、分かりましたって。中学生なので何もわからなくて。
そこからオーディションをいろいろ受けて、『いつみても波瀾万丈』の再現VTRで、麻丘めぐみさんを演じたこともありました。そういうことをやっているうちに高1で受けた「ミスヤングマガジン」に合格して。
――今の「ミスマガジン」ですね。杏さんは2000年の準グランプリ4人のうちの1人で、その年のグランプリは川村亜紀さんでした。
杏 1年間ヤンマガで活動して、ラジオにも出演しました。2001年に初めての写真集を作るんですけど、その時のカメラマンが「めちゃくちゃクビレがいいね」と褒めてくれて。
そのカメラマンが私を勝手にヤングジャンプに売り込んでくれて、そこからグラビアにどんどん出るようになりました。
――ライバル誌に、よくすぐにいけましたね。
杏 ねえ。私もびっくりなんですけど(笑)。2000年のグランプリ、準グランプリ5人の中でも人気が最下位だったからあんまり期待されてなかったんだと思います(笑)。
父が転勤したので、高校を卒業してからイギリスに行きました。事務所には「大きい仕事があったら戻って来てね」とは言われてたんですが、3カ月たって、一度日本に戻ってきたら人気に火がついちゃっていて。「ヤンジャンに出てるあの子は誰なんだ」とテレビからのオファーもすごく来てたんです。
日本に戻ると1カ月びっちりスケジュールが埋まっていて。それをこなすと、またイギリスに帰る。そうすると「今度はいつ帰って来れるんだ」と言われて。結局2年間くらい日本とイギリスを行ったり来たりしてました。
――それだけ忙しいのに当時、給料が払われてなかったそうですね。
人気絶頂なのに給料が10万円
杏 払われてないですね。私から事務所に請求しないともらえなくて。でも大量に仕事をしているともう分かんなくなるじゃないですか。日本に帰国してNHK教育(現Eテレ)の『100語でスタート!英会話』に出演するくらいで給料が月10万円と決まって。そこからもう鬼のように仕事がずっとありましたけど、ずっと変わらず10万円でした。
――人気絶頂で10万円......。さすがに安すぎますよね。いつ頃からおかしいと考え始めるんですか。