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 テレビのバラエティー番組に出始めたときです。楽屋で共演するグラビアアイドルの子たちがブランド物で身を着飾っていて。一方、私は撮影先のバリで買った安い麻のカバンに、服も衣装さんから安く買ったやつ。そうするとほかの女の子たちとも比べちゃいますよね。

 私もブランド品を持ちたいなと思って、両親に「給料を上げてほしいと言ってみようかな」と相談したら父親から「給料は自分から言って上げてもらうもんじゃない。上げてもらえるまで黙ってろ」って言われて。それで言わずにいたら、みるみるうちに事務所が大きくなっていくわけですよ(笑)。当時、所属していたのは私一人なのに。

 最初は原宿のマクドナルドの上にある小さい1部屋だったのが、同じビルの違う部屋に社長室ができて、向かいのマンションにスタジオ作って.......となって。車もアルファードとかベンツを買ってました。でも当時のマネージャーさんは免許を持ってなかったので、誰のために買ったのって。

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――明らかに何かが変ですよね。

給料を上げてと言ったら、なぜか0円に

 社長もブランド物を着るようなタイプではなかったんですけど、久しぶりに会ったら全身プラダになっていて。プラダスポーツ着てましたね。赤いラインの。

 あるとき社長室に行ったら、パソコンのスクリーンセーバーに社長が外国人とビーチでイエーイってやっている写真がスコン、スコンと出てきて。ああ、もうこれは言おうと思って、今度は両親に相談せず社長に「給料を30万に上げてほしい」って話したんです。

――当時の杏さんの売れ方からしたら、それでもかわいいもんですね。

 名前は言えないですけど、私より全然売れていないグラビアの子でも手取り70万円とか80万円とかもらっている子はザラにいたらしいんですよ。

 それで給料を上げてと言ったら「わかった」って言ってもらえて。喜んでいたら、その月から10万円の給料すら入らなくなっちゃって......。

©山元茂樹/文藝春秋

――えっ、0円。それ、どうやって暮らしていくんですか。

 部屋は借りてもらってたんですけど、家賃滞納の赤紙みたいなやつがいつも来ていて、ご飯もロケ弁を持って帰っていました。

 スケジュールもパンパンで休みなし。一番ひどかったときは、昼前からNHKの英会話番組の収録をやって、収録後にその冊子の撮影。そこからドラマの現場に向かって、夜中から朝日のシーンまでずっと撮って、電車で家に帰ってシャワーを浴びて30分横になって、また次のバラエティーの現場にいくという感じで。

――給料についてその後、話す機会はあったんですか。