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 ないですね。社長とも1年に1回会うか会わないかぐらいだったのですごい放置されてました。

 それに当時は仕事しかしてなかったし、相談するような友達が本当にいなくて。唯一六本木のバーに面倒見のいいお姉さんがいて、お金がないからタダで飲ませてくれてたんです。「タクシー代あげるから帰りな」って言ってくれる人で、そこが憩いの場だったんです。

 ストレスはずっと感じていて、だんだん心臓がバクバクと動悸したり、すごく元気になったと思ったら、だるくて全く起き上がれないときがあるようになってました。

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 そんな時、バーのお姉さんに「あんた、ちょっと躁うつ病っぽいから病院に行ってきな」って言われて、紹介してもらった病院に行ったら躁うつ病とパニック障害だって診断されました。

©山元茂樹/文藝春秋

「正直、その頃の記憶が今もあまりないんです」

――その環境だとメンタルは当然やられますよね。

 夜も寝れなかったから病院で薬ももらったんですが、でもバラエティーの仕事ってテンションを上げないといけないじゃないですか。安定剤を飲むと落ち着いちゃうので、飲まないで現場に行くんですよ。

 そうすると仕事ではワーッて上がるんですけど「お疲れ様でした」と言ってタクシーに乗った瞬間に一気に死体のようにガクンって力が落ちる。それを繰り返していたら、ますます酷くなって。正直、その頃の記憶が今もあまりないんですよ。

 さらに「BUBKA」に、“杏さゆりがイケメンと六本木のバーに来て飲んで騒いでる”って記事を書かれて。

 実際はバーのお姉さんがお客のおじさんたちに私がちょっかいをかけられないように、店員の子を隣に座らせてガードしてくれていたんです。その子がイケメンだっただけで嘘情報なんですが、書かれたことでお姉さんから「もう危ないから、店には来ない方がいいよ」と言われて、ますます追い詰められて。

――唯一の相談相手まで失ったわけですね。

痩せすぎで小さ目のブランドのパンツがブカブカに

 ある日、布団で寝ていたら、石の枕に、剣山のスプリングベッドに、包丁の刃がこっちに向いた掛け布団をかけているぐらい、皮膚に触れるもの全てが痛くて寝られないんです。

 たまたま父親からその時に電話がかかって状況を説明するじゃないですか。そうしたら両親は当時台湾に住んでいたんですけど、やばいとなって、母親が一緒についてくれることになって。

 仕事が終わって帰るといつも母親がマンションの下まで迎えに来てくれて、立ち上がれない私の肩を組んで、部屋まで連れて行ってくれていました。

――食事はちゃんと取れていたんですか。

 母親がごはんを作ってくれたり、躁うつの躁のときに食べていましたけど、痩せてましたね。

 MOUSSYってブランドのパンツあるじゃないですか。あれって普通のサイズのものより1、2サイズ小さめだと思うんですが、それの23インチぐらいが当時はブカブカで。ヤバくないですか(笑)?

©山元茂樹/文藝春秋

 病気が治った後もそのパンツだけは戒めに持っていたんですけど、普通の体重に戻ったときにはいたら全然はけないんですよ。膝上あたりで止まっちゃうんですよ。怖いですよね。

 痩せている頃、ドラマを撮ってたんですけど、現場のメイクさんに私が痩せすぎているから薬物を使用してるんじゃないかと心配されていました。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。