“くびれの女王”と呼ばれ、2000年代前半にグラビアやバラエティー番組で活躍した杏さゆりさん。日本中の男性を虜にした彼女だが、人気絶頂の頃には所属した芸能事務所により給料をゼロにされメンタルも崩壊。さらにグラビア撮影の現場では、有名カメラマンに騙され、無理やりヌードを撮らされそうになるなど壮絶な経験をしていた――。(全3回の2回目/続きを読む)
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「ファッション雑誌みたいで楽しかった」思い出のグラビア
――グラビアのお話もお聞きしたいんですが、杏さんのお仕事で印象深かったのは2003年の写真集「水着ファイターEVOLUTIONS」です。手の形をしたラバーペイントで胸を隠した表紙はインパクトがありました。
杏 あれは乾くとラバーになる素材で、中の写真では体中もベタベタになっているんですよ。表紙に使われた手だけの写真は使わないでねって実はお願いしていたんですが「ちょっとテストで」と撮られた写真が表紙には使われてたんです。
ただ当時、私なんてもう若造じゃないですか、私なんて。良し悪しなんて分からなかったなと今、大人になって思います。今となってはヤングジャンプ様ありがとうございますって思いますね。
――あの写真集自体はユニークな作りで、子どもと一緒に撮ったり、モードぽさもある和服だったりとおしゃれで、杏さんのポップなイメージと合ってました。
杏 当時のヤンジャンの編集の方が外国の写真が好きな方で、それでファッション雑誌っぽくグラビアを撮らせてもらっていましたね。ありがたかったです。
――2000年代は出版社もお金があって、海外での撮影も多かったのではないですか。
杏 仕事で海外行けるのが本当に幸せでしたね。ほとんど遊ぶ時間はなかったですけど(笑)。サイパン日帰りとかありました。夜中の便で行って、朝着いて現地で撮影して夜に帰ってくるっていう。
――ハードですね。逆にグラビアで嫌だった思い出はありますか。
躁うつ病とパニック障害の真っ最中、脱がされそうになって
杏 有名なあるカメラマンに脱がされそうになったことですね。躁うつ病とパニック障害の真っ最中の頃で、雑誌の撮り下ろしだったと思います。
最初の打ち合わせでカメラマンやスタッフが私を脱がそうと説得してくるんですけど、私も「脱がない」と譲らなくて。それでムカついたんでしょうね、カメラマンが「おまえは政治家になったほうがいいよ」って言って、席を立ったまま、待てど暮らせど帰って来ない。
それで最初の打ち合わせは終わったんですが、どうしてもそのカメラマンに私を撮らせたいと周りが思っていたみたいで。
最後の打ち合わせのときに「すごい豪華なホテルが千葉にあるから、そこでドレスを着てお人形さんみたいに撮ろう」と提案されて、それだったらとOKしたんです。
それでも私は信用してなかったので、当日はでっかいヌーブラと、競泳用のアンダーパンツを自分で用意していきました。都内から車でロケ場所まで移動するんですが、千葉で撮影するといっていたのに出発してから30分ぐらいで車が止まって。着いたのは都内のハウススタジオだったんですよ。
――拉致じゃないですか、それ。