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食えない時代にお世話になったラーメン屋の夫婦

 劇場の仕事が5時頃終わり、寛平と2人で家にいるとお腹が減って仕方がなくて、ケチャップとマヨネーズを皿に出して、指で舐めていたら、帰宅した嫁さんがラーメン屋へ連れていってくれたこともありましたね。

 ラーメン屋へ向かう途中、嫁さんから「チャーシュー麺は絶対に頼んだらアカンで高いから。普通の味噌ラーメンだけ」と釘を刺された。店に入り、味噌ラーメンを3つ頼み、周りを見回すと美味しそうなチャーシュー麺を食べている客がいる。それを見た俺と寛平が「俺らもあんなん食べたいな」、「味噌ラーメンでもありがたいと思わな。あんたらさっきマヨネーズ舐めてたやろ」と嫁さんがピシャリ。目の前で、調理している店主の夫婦がそれを聞いて笑っているんです。

 その後、寛平と話していると、「あんたら吉本の人?」と聞かれたんですよ。俺らの顔を誰も知らない頃だったんです。「僕は今は進行係ですけど、漫才をやりたいんです」と答えると、寛平が「僕はもう舞台に上がってます」。「お前は『マスター、配達に行ってきます』だけやろ」とツッコんだ。するとおばちゃんが笑いながら「最初はそんなもんやんね」。またも「チャーシュー麺食いたいな」と繰り返していると、「そんな聞こえるところで言わんといて。わかったわ。奢ったる」とチャーシューをサービスしてくれたんです。

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大阪は売れていない芸人を育てる街

 1週間後、その店へ3人で行くと、おっちゃんが「今日はもうチャーシューはまけへんで」。「この前ご馳走になったから今日はエエです」と俺は言ったんですけど、寛平がうちの嫁さんに「チャーシュー麺食べていい?」と聞いている。「だから聞こえるところで言わんといて」とおっちゃん。結局、その日もチャーシューをご馳走になったんです。「その代わり、あんたら売れたらこの店へしょっちゅう食べに来てや」。大阪は、売れていない芸人を育てる街なんです。「売れや」「頑張りや」と言って、おまけしてくれる。

 その後、俺は師匠に弟子入りし、関西ローカルの番組に出るようになり東京進出。漫才ブームで売れた。寛平も新喜劇で人気者に。すっかりお世話になったラーメン屋のことを忘れていた頃、売れていない頃の思い出の地を巡る番組のロケで、当時住んでいたアパートへ行って、ラーメン屋のことを思い出したんです。

 その店を訪れると、店主の夫婦は、最近よくテレビで見かけるのは、絶対にあの時の2人だけど、「恩返しに来る言うて来ないな」と噂していたらしいんですよ。でも「芸人さんは若い時は苦労するし、腹が減っていたんやろうね」と温かく迎えてくれた。ロケ隊8人前のチャーシュー麺を頼んで、その店を後にした。他の場所でのロケの間、マネージャーに色紙を買っておいてと頼んで、その店に戻ってサインを渡すと、「ありがとう!」と物凄く喜んでくれたんですよ。帰り際に、店主の夫婦がチャーシューを丸々1本包んでくれました。そのことを寛平に話すと、寛平も新喜劇の若い子らと行ったみたいです。