島田洋七の著書『お笑いがばい交友譚』では、時代の顔といえる“大物”たちとのエピソードが綴られている。かつて島田が所属していた吉本の同期や後輩には強烈な個性を持った芸人が多いという。ここでは、とりわけ仲の良かった間寛平とのエピソードを紹介する。(全2回の2回目/#1から続く)

2011年1月、アースマラソンで地球を一周し、妻の光代さん(右)と抱き合う間寛平(大阪市中央区のなんばグランド花月) ©時事通信社

動きだけで笑いを取れる男、間寛平

 喋りではなく、世界でも稀に見る動きだけで笑わせることができるのが間寛平です。他には、チャップリンやMr.ビーンくらいでしょうね。間寛平と出会ったのは、俺が吉本興業に入って、うめだ花月で進行係の初日のことでした。進行係は、新喜劇が始まる前に、セットを組んだり、落語家さんが出る前に高座台を出したりするんです。寛平も、まだ新喜劇に入って半年か1年しか経ってない頃ですよ。

 幕が開くと同時に「配達に行ってきます」と従業員役の寛平が台詞を口にすると、新喜劇が始まるんです。それ以降は、寛平の出番は一切なかった。舞台袖に戻ってきた寛平に「もう戻らへんの?」と聞くと、「まだ入ったばかりやから、こんなんばっかやねん」。

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 初めて間近で見る新喜劇だったので、物珍しくて俺は毎日食い入るように見ていたんです。今は1週間公演ですけど、昔は10日公演だったんです。10日間、袖に戻ってきた寛平と毎日言葉を交わしていくうちに、段々と仲良くなりましたね。

3日に1度は泊まりに来るように

 1週間くらい経った頃、「どこ住んでんの?」と寛平に聞かれたんです。当時、俺は住吉に住んでいた。寛平は、住吉から堺に向かった場所に住んでいて、家も近かったんです。

「洋七の家に寄っていいか?」

「ええよ」

 なんでも寛平は親に「新喜劇なんかに出るなら家に帰ってこんでいい。ちゃんとした仕事せえ」と叱られていて、家に居づらかったようでしたね。昔は芸人になるなんて言おうものなら、そんなもんでしたよ。