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穴のあいた壁

 血だらけの様子が衝撃的すぎたのですが、しばらくして落ち着いてきたので室内をよく見てみると、壁に穴があいています。

 5センチメートルほどの細長い三角形で、かなり深そうな穴です。

 なんだろう、と近づいて、はたと気づきました。

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 包丁が突き刺さった穴か……!

 見渡すと、壁中に穴がありました。何ヵ所も、何ヵ所も。少なくとも十ヵ所以上はありました。

 深くあいた穴からは、ものすごい力が加わっていたことが想像されました。

 加害者は包丁で被害者に襲いかかり、逃げられるたびに壁に包丁が突き刺さり、それを引き抜いては追いかけて、再び被害者を目がけて包丁を振り下ろしたに違いありません。

 どれほどの怨み、憎しみに突き動かされたというのでしょう。

 すさまじい執念を感じました。

 被害者の方は、どれほど怖い思いをしただろう、どんなに痛かっただろう、と想像では及ばぬ苦しみを感じ取りました。

 大家さんと不動産屋さんは、一刻も早くお祓いをして、次の人に貸し出したいというだけでわたしに依頼をしてきたのかもしれません。

写真はイメージ ©️AFLO

 しかし、ここに呼ばれたからには、せめてわたしだけでも、亡くなった方の苦しみ、痛み、無念さに寄り添わなければならないと、強く思いました。

 グショグショに血で濡れた床に敷かれたビニールシートの上に、小型祭壇を手早く組み立てました。「小型祭壇」とは、わたしが事故物件などで使用するために特注した、持ち運びしやすい組み立て式の簡易祭壇です。

 自殺や孤独死の現場は狭い部屋であることも多く、通常サイズの祭壇ではあまりに使い勝手が悪く、儀式のやりにくさを感じたからです。組み立て式であれば、運びやすく、汚れても掃除がしやすいのです。

 設置が完了し、わたしは慰霊と「清祓い」の儀式を始めました。清祓いというのは、「霊碍除」と呼ばれる祈願の一種で厄災や穢れ、悪い気など、「悪しきもの」を祓う儀式です。自殺者や孤独死の方の「魂を浄化させる祭詞」とは異なるものです。わたしが28歳のときに考案した独自の儀式をおこなっています。

「畏み畏み申す……祓い給え、清め給え、祓い給え、清め給え……」

 亡くなった方と一対一で向き合いながら、わたしは清祓いの祭詞を読み上げました。

 一言で事故物件といっても、殺人現場というのは自殺現場とは違った恐ろしさがあります。自殺や孤独死を「静」とするならば、殺人は「動」の現場といえるかもしれません。

 被害者、そして加害者の「念」のようなものが強く残っているように感じます。

 自殺者であれ、殺人事件の被害者であれ、わたしができることはひとつしかありません。

 死者の魂が少しでも安らかになるように、心を込めて祭詞を唱えるだけです。