「この部屋で私も寝泊まりします」母が下した決断
慎太郎を1人で頑張らせることは、最初からまったく考えておりませんでした。
「この部屋で私も寝泊まりします」
最初、病院のスタッフの方は驚いたようで、それはできないと言いました。これまでどんなに近しい家族でも、ずっと寝泊まりしている付き添いはいないというのです。
「でも、世話をする人間がいないといけませんから」
「皆様、毎日通って来られていますよ」
「通いでは、夜中は一緒にいられませんよね? 本当に必要なのは、夜だと思うんです」
「夜勤のスタッフがおります」
「スタッフの方は、この子1人に付きっきりというわけにはいかないでしょう」
「ですが……」
病院側もさぞ困ったことでしょう。しかし私の決意は揺らぎませんでした。慎太郎がこの現実に耐えるなら、私にできることは一緒に耐えること。そして一緒、というのは、心も体も常に一緒にいなければ意味がない。傍にいなければ、と強く思ったのです。私の異様な熱気が伝わったのか、最終的に病院は許可してくださいました。
二人三脚の闘病生活の始まり
話を聞いた真之はさすがに「本気か?」と驚きました。
「本気ですよ。仕事も辞めます」
この頃、真之は学生野球資格回復研修制度を通じて日本学生野球協会から資格回復の適性を認定され、2016年の4月から鹿児島商業高校の野球部のコーチを務めておりました。真之にとっても夢の1つだった甲子園を、今は生徒の皆さんと共に目指す日々を送っていて、私は真之がふたたび野球の表舞台に立てたような気がして喜んでおりました。
その責任もあり、真之は鹿児島に帰らねばなりませんでした。何より一家の大黒柱が仕事を辞めてしまっては入院費も払えません。あまりの出来事に、お金の計算などする余裕はありませんでしたが、半年間の入院と治療に要する費用も用意しておかねばならないのです。
「そうか……お母さんが倒れないようにせんとな」
「私は大丈夫。絶対に、大丈夫です」
こうして、慎太郎との二人三脚が始まったのです。