前年の夏頃から原因不明の目の異常
『では、お待ちしております』
時が止まったようでした。考えることができず、動くこともできません。心臓はドクドクと鳴り続けています。
「とにかく……」
真之の番号を押しました。飛行機を手配しなければ……真子にも連絡しなければ……。
「お父さん。今すぐ帰ってきて……」
前年の夏頃から慎太郎の原因不明の頭痛は次第に激しくなり、夜も眠れないほどになり、暮れ頃から目にも異常が見られるようになっていました。視界に黒いラインが入る、ボールが二重に見えるといった症状で、キャンプ中もミスを繰り返し、様子がおかしいと悟ったコーチが練習を中断させて病院に行かせたそうです。
事情を知って飛んで帰ってきた夫と共に、その日のうちに飛行機に乗り、大阪へ向かいました。慎太郎と顔を合わせたのは、大阪にある大学病院の待合室でした。キャンプを離脱し、大阪に戻って再度、精密検査を受けたとのことです。
病院の大きな自動ドアを抜けると慎太郎の担当スカウトだった田中秀太さんが待っていてくださり、私たちに駆け寄ってきました。
「どうぞ、こっちです」
秀太さんは泣き出すのをこらえるかのような表情で、急ぎ足で案内してくださいました。診察室の前のソファに座っている慎太郎は、じっと目を閉じていました。
恐ろしい用語が次から次へと飛び出して…
「慎太郎」
声をかけるとハッとこちらを向き、立ち上がりました。一瞬、笑ったようでした。よく日に焼けた顔、たくましい体つき、伸びた背筋。この子のどこに病気があるの、と腹立たしいような気持ちになりました。
「大丈夫だからね」
近づいてそう言いますと息子は目を潤ませました。よく見ると、目の周りが腫れています。ああ、泣いたのか。たくさんたくさん、泣いたんだな。
「大丈夫だから」
ほどなくして診察室に呼ばれ、精密検査の結果を3人で一緒に聞きました。
「いったん、野球は忘れましょう」
担当医の言葉に、慎太郎は、少し口を開いた状態で、じっと先生の顔を見つめていました。目が左右に動いて、焦点が定まりません。何か言いたいのでしょうが、なんと言えばいいのか分からずにいる様子です。
先生は続けてこれからの治療法を説明してくださいました。手術を2回行うこと。ひとまず応急処置のための手術、そして開頭での腫瘍摘出手術。この手術の後、再発させないための抗がん剤治療、放射線治療と続き、退院までに半年ほどの時間を要するだろうと。想像もしたくないような恐ろしい用語が次から次へと飛び出して、私はもう逃げ出したくなっていました。