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「爆笑問題が謝って戻りたいというときが来たら…」太田光代氏が願っていた“太田プロ復帰シナリオ”が消えた日

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お金になりそうなものはすべて質屋に

 人気が出始めていた爆笑問題も独立を機に、決まりかけていた仕事はすべてなくなり、当時、唯一出演していたNHKの音楽番組「メガロックショー」も間もなく終了。田中裕二はコンビニバイトに精を出し、店長候補とまで言われるようになり、一方の光氏は家で「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」を日がなプレイする毎日だったという。

出会った頃の二人 ©タイタン

 新婚夫婦の生活は一気に苦しくなっていった。

「私は二十歳の時に親に買ってもらった宝石や着物、何かの番組で優勝記念にもらったダイヤモンドなど、お金になりそうなものはすべて質屋に入れました。最後に残ったのは太田に買ってもらった小さなルビーの指輪だけ」

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 生活費を賄うため、光代氏も田中氏と同じくコンビニでバイトを始めた。

二人を太田プロに復帰させるという“ウルトラC”

 見かねた光氏は一念発起して田中氏を誘い、二人で若手用のネタの賞レースに出場。「NHK新人演芸大賞」を獲得し、テレビ朝日の「GAHAHAキング爆笑王決定戦」でも、10週勝ち抜きのチャンピオンに輝くことになる。

タレント時代の光代氏 ©タイタン

 再ブレイクのきっかけを掴んだ爆笑問題。ここで光代氏は、彼らをもう一度、太田プロに復帰させるという“ウルトラC”に向けて動き出すことになる。

「私はまだ所属タレントでした。実は、爆笑問題が独立した直後に、私の現場について来てくれていたマネジャーに『爆笑問題が謝って戻りたいというときが来たら、繋いでください』と頼み込んでいたのです。

 二つの賞レース優勝というお土産ができた今こそ、その時です。私は『社長と副社のスケジュールをいただけますか』とお願いしました」

 そして、ついに太田プロと爆笑問題、太田光代氏との会食の場が設けられる。ところが……。

爆笑問題 ©タイタン

 なぜ、太田プロに戻るという選択肢を爆笑問題は選ばなかったのか――。太田光代氏の人生を一変させることになる「忘れられない日」について、1月10日発売の「文藝春秋」2月号で全10ページにわたり掲載している(「文藝春秋 電子版」は1月9日公開)。

「爆笑問題が謝って戻りたいというときが来たら…」太田光代氏が願っていた“太田プロ復帰シナリオ”が消えた日

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