この事件の映画化は、遺体発見前後で2度行われている。一作はジョ・グムファン監督が撮った『帰って来いカエル少年』(1992年)。そして、もう一作は日本でも2012年に公開された『カエル少年失踪殺人事件』だ。
『カエル少年失踪殺人事件』のクライマックスでは、事件への関与をほのめかす怪しげな男性が、犯人のように登場するが、これは映画上の演出であり事実とは異なる。制作会社曰く、この作品を作るにあたり、遺族の方々にシナリオの全ページに目を通してもらって承諾のサインをもらったのだそうだ。作品上必要な演出だということへの理解を得てのキャラクターだったのだろう。
激動だった1991年
以上が韓国の三大未解決事件であるが、事件が「すべて1991年に起こった」という点にも目を向けてみよう。
事件が起こった順序は、華城連続殺人事件(1986年からすでに犯行がはじまり、1991年まで続いた)→イ・ヒョンホ君誘拐殺人(1991年1月)→カエル少年(1991年3月)となる。
実は、1991年というのは韓国人にとって激動の年だった。
1990年から、政府による弾圧やメディア統制の兆しが見え、労働組合と学生運動が活発に行われていた。1991年にはこれに憤慨した学生や社会人10人が次々と焼身自殺し、さらに警察による過度な弾圧により3人が死亡した。韓国ではこれを「焚身政局」と呼んでいる。
国家を信じられなくなってしまった時代
このように、韓国内が不安定で先行きが見えない時代に三つの事件は起こってしまった。実際の事件がどれだけ反映されているのかは分からないが、映画では、警察の過失が描かれている部分が多い。それはまさに、国家を信じられなくなってしまった時代を表しているかのようである。
今後、捜査技術はますます進歩していくだろう。華城の事例のように、一件でも多くの未解決殺人事件が解決できる日が来ること願わずにはいられないが、亡くなってしまった被害者はもう戻って来ない。改めて今回取り上げた事件の被害者の冥福を祈る。