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 もっとも、すべてが順調であったわけではない。後年明かしたところでは、《あの頃はほかの女優さんと自分を比べて落ち込んだり、友人が社会人として輝いている様子を見聞きするたび、私は本来のコースから外れてしまったのではないかと不安や焦りを募らせたり……。自己嫌悪に陥って自宅にひきこもり、カウンセリングを受けていた時期もありました》という(『婦人公論』2020年9月8日号)。

人生を変えた出会い

 そんな宮崎が、この出会いがなければいまの私はないと語るのが、26歳で出演した映画『乱』(1985年)の黒澤明監督である。撮影にあたり、失敗するのが怖くて萎縮していた彼女に、監督は「ありのままでいていいんだよ」と声をかけてくれた。演技についても、黒澤映画の常連である仲代達矢らと分け隔てることなく指導してくれたという。この経験を通じて彼女は《体当たりして恥をかいても、そこから学ぶことで楽になるという術を覚えました》と語る(前掲)。

映画『乱』(1985年)

 黒澤監督の没後の2000年、その遺作シナリオ『雨あがる』が小泉堯史監督によって映画化され、宮崎は主人公(寺尾聰)の武士を支える妻を演じた。小泉監督は、黒澤組の助手時代に『乱』での彼女の演技を見て、自らの監督第1作となる『雨あがる』に起用したという。小泉はのちに当時を振り返って、《彼女の魅力は、役柄をうまく摑み、素直に表現できること。飾り気がなく、非常に聡明》と宮崎を評している(『週刊文春』2020年11月5日号)。

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『雨あがる』出演に際して彼女は、必要最小限の荷物で旅をする潔い女性である妻になりきろうと、自宅のリビングにあった家具を処分して、ちゃぶ台だけで暮らしてみたりもしたという。そうした努力のかいあって、同作での演技は高く評価され、ブルーリボン賞の助演女優賞や日本アカデミー賞の主演女優賞にも輝いた。このとき宮崎は41歳、デビューから20年あまりで、《ようやく「私も女優の仲間入りさせてもらえたかな」と思いました》という(『週刊朝日』2007年3月9日号)。

「すこやかな美」を絶賛

「飾り気がなく」自然体であることはデビュー時から一貫した宮崎美子の魅力なのだろう。例のカメラのCM出演時には、そのぽっちゃりとした体型がことさらに取り沙汰され、志村けんからコントのネタにもされた。それは志村がCMと同じく服を脱いでいき、最後はお腹の肉をつまんで「宮崎美子!」と叫ぶというもので、当の宮崎は結構傷ついたという。

 しかし、対談で本人からこの話を聞いたエッセイストの江國滋は、《でもそれは讃辞なんですよ》と言って、《いままで、やれスリムだのダイエットだの、そっちばかり強調されていて、健康美、自然美、女性美、もっともすこやかなるものの美がないがしろにされてきた。それを宮崎美子が再認識させたんですよ。太めの特権です》と彼女を褒め称えた(『週刊現代』1981年1月1日号)。