なぜいじめはなくならないのか。福厳寺住職でYouTuberの大愚元勝さんは「自分たちの常識とは違う異質な性質を排除しようとするのが人間の本能だからだ。仏教には、集団生活を円滑に運営する智慧があるため、2500年以上も仏道修行を続けられている」という――。

写真=iStock.com/AlexLinch ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AlexLinch

「いじめが最多68万件」も氷山の一角

「全国のいじめ件数、過去最多68万件…不登校の小中学生は30万人に迫る」

これは、2023年10月3日の読売新聞オンラインに掲載された記事の見出しだ。

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文部科学省の問題行動・不登校調査によれば、全国の小中高校と特別支援学校で2022年度に認知されたいじめの件数が、前年度より1割増して、68万1948件に上り、過去最多の数だった。また、不登校の小中学生も最多の29万9048人と、30万に迫ったという。

また、「重大事態」と認定されたいじめの数も217件増え、過去最多の923件。

年々いじめが増え続けている。深刻ないじめも増え続けている。不登校の学生も増え続けている。

さらには、こうした調査に上がってこない「いじめ」も確実に存在する。一体どれだけの子どもたちが、いじめに苦しんでいることだろう。

大きな者が小さな者をいじめる構図は変わらない

思い起こせば私が小、中学生だったときも、いじめはあった。

通学班での下校途中に、高学年の生徒たちが、シャツや短パンから出ている後輩たちの手脚を細竹で叩き、ミミズ腫れの数を自慢げに数える。

部活動の時間、「空気イス」をやらせながら、後輩の頭に腐った牛乳をかける。

相手が大便トイレの中に入ったのを見計らって、上からバケツで水をかけるなど……。

学年や身体が大きな者からのいじめを前にして、反発できない悔しさと、同級生を庇ってやれない情けなさに泣きながら帰ると、お寺の師匠から「泣くな!」と叱られ、身体の大きな者との戦い方を指南してくれたことを思い出す。

現代は「村八分」どころか「村十分」

「いじめ」は、決して子どもの世界だけの悲劇ではない。大人の世界であっても、多くのコミュニティー内で昔から存在している。