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2500年前の仏教集団にもいじめはあった…ブッダに学ぶ「いじめられた人が取るべき行動」

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genre : ライフ, ライフスタイル, 社会

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「村八分」という言葉があるが、これは永らく日本の農村に存在してきた壮絶な「いじめ」のことだ。

しかし昔の村八分は、どんなに「いじめ」たとしても、村八分。残りの二分(火事と葬式)は、たとえ普段はいじめていたとしても、協力して助け合うのが慣わしだった。

ところが現代では、火事は消防車が駆けつけるし、葬式は葬儀社が駆けつける。さらにSNSなどで誰かを誹謗(ひぼう)中傷すれば、相手は24時間、365日追い込まれ、まさに「村十分」のいじめになりかねない。

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人間がいじめから逃れられない理由

それにしても、なぜいじめは起こるのか。なぜ子どもから高齢者まで、人は人をいじめるのか。

脳科学者、中野信子氏は著書『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)の中で、いじめのメカニズムを脳科学的に明らかにしている。

実は、「いじめ」をはじめとする社会的排除行為が、私たち人間が種として存続することを有利にしてきた背景があるという。

厳しい自然界にあって、私たちヒトの体は他の動物と比べて非常に脆弱(ぜいじゃく)である。サバンナの猛獣と戦って勝てる者はいない。

そこで、脆弱な人間の祖先が生存戦略として発達させたのが、「集団を作ること」であった。

人間に限らず、多くの動物たちが群れを作って行動しているが、ホモ・サピエンスは脳の前側にある、前頭前皮質を発達させたことによって、数百、数千という個体が集団で計画的に行動することが出来るようになった。

ところが、この高度に社会的集団を作り、仲間と協力するという形で発達してきた脳機能が、皮肉なことに「いじめ」のきっかけとなってしまったのである。

集団にとっての「最大の脅威」は内部にいる

どういうことか。

ヒトは外敵から身を守り、種を存続させるために、ピンではなく集団で生きることを選んだ。

しかし集団にとっての本当の脅威は、敵ではなかった。

敵は確かに危険な存在ではあるが、脅威であるがゆえに共同体をまとめ、仲間の協力体制を強めてくれる存在でもあるからだ。

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