文春オンライン

2500年前の仏教集団にもいじめはあった…ブッダに学ぶ「いじめられた人が取るべき行動」

source : 提携メディア

genre : ライフ, ライフスタイル, 社会

note

修行僧はどうやって集団生活を続けているのか

これまで多くの学校や組織がいじめに対してさまざまな対策をしてきた。けれども、毎年増え続ける「いじめ」や「不登校」児童の数は、それらの対策があまり功を奏していないことを示している。

では、いじめに対してできることはないのか。

私は仏教にそのヒントがあると考えている。

ADVERTISEMENT

2500年以上もの歴史を持つ仏教の出家集団(サンガ)は、世界で最も永く続いているコミュニティーとも言われている。そもそも仏道修行は、山の中に一人で籠もってするものではない。

仏道修行は短期間ではない、出家修行が前提なので、一度出家すると出家集団の中で一生を終えることになる。

しかしいくら修行僧の集まりとはいえ、サンガが人の集団であることには変わりない。むしろ、悟りという目的に向かって修行しようなどという、真面目な者たちの集まりだからこそ、そこにはまさに排外感情やオーバーサンクション、「いじめ」が生じる可能性が大いにある。

実際、仏教の永い歴史の中には、「いじめ」も存在した。

しかし、それでも仏教教団が永続してきた背景には、仏教自体に集団生活を円滑に運営する智慧があったのである。

いじめられても自分を投げ出してはいけない

以下それぞれ3つの立場に対して、仏教の智慧を紹介する。

・いじめる側

誰もがいじめる側に立ってしまう可能性がある。そのことを自覚して、慈悲心を育てる。

慈悲心は愛とは違う。愛は家族や恋人、友人、仲間など、自分が好きな人を本能的に大切にする心のこと。慈悲心とは、「自分が好きな人も、嫌いな人も幸せであれ」と願う心。

だから慈悲心は意識して育てなければ育たない。これを「努力して育てよ!」と説くのが仏教だ。

・いじめられる側

誰もがいじめられる側になる可能性がある。そのことを自覚して、智慧を育てる。

智慧は知識とは違う。この世のありのままの姿を、ありのままに観察する力。それが智慧だ。

自然界の生き物は、自分で自分の身を守る。いじめられっぱなしの生き物はいない。命を脅かそうとする相手に対しては、小さな虫ですら懸命に戦おうとする。あなたも経験したことがあるかもしれないが、小さなゴキブリでも向かってきたら結構怖い。どうしても抗えないなら助けを求める。とにかく自分を投げ出さず、必死で守ろうとする気概が大切だ。

関連記事