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吉祥寺の喫茶店で口説かれた

 ——宮﨑さんと庵野さん、2人の天才監督から同時に声が掛かっていたんですね。

 本田 宮﨑さんに誘われたときは即決できなくて、「ちょっと持ち帰らせてください」と答えました。当時の僕は庵野さん率いるカラーの社員でしたし。

 ところが、宮﨑さんは「僕にはもう時間が無いんです」と追い討ちをかけてくる。そのとき宮﨑さんは75歳だったんですが、「宮﨑家は長寿の家系ではなく、70歳の壁を超えた人はいないんです」と。お父さんは79歳で亡くなっていて、お兄さんは77歳で他界された。「僕にとっては最後の作品になるかも知れない」と言う。ずるいですよ、宮﨑駿にそう言われて断ることができるアニメーターはいない(笑)。ただ、「エヴァンゲリオン」は最初のテレビアニメ版から20年ほど関わっていましたし、本当にやりたかった。

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宮﨑駿監督 ©文藝春秋

 なかなか答えを出せないでいると、2016年の年末、12月30日だったと思いますが、鈴木さんに呼び出されて、吉祥寺にある喫茶店で話をすることになりました。

 さすがに何らかの返事をしなければまずいので、僕は正直に「『君たち』と『シン・エヴァ』、両方ともやりたい」と伝えたんです。が、鈴木さんもなかなか譲ってくれない。「本田君、仕事っていうのは、2つしかない。やりたい仕事か、やらなきゃいけない仕事か、ですよ」なんて言う。結局、お前はどっちがやりたいんだと。

 現スタジオジブリ社長である鈴木氏は、今年6月に配信された「文藝春秋ウェビナー」で、「どうしてもアニメーター・本田雄の存在が必要だった」と、その内幕を一部明かしていた。本田氏はすでにジブリの複数作品で原画を担当し、『崖の上のポニョ』での仕事ぶりは、高く評価されていた。前述のように鈴木氏は事前に庵野監督に直談判したが、庵野監督は「鈴木さん、知ってますよね、これから『エヴァ』が始まるんですよ。プロ野球で言えば、さあシーズンがスタート。鈴木さんはそこで、4番打者をくれと言っているんですよ」と答えたという。ウェビナーで鈴木氏は、「『だから、僕は頭を下げて頼んでるじゃない』って言ったら、庵野がちょっと失敗したんですよ。『どうするかは、本人次第ですから』って言っちゃったんですよねぇ。『勝った!』と思ったですよねぇ」と語っている。

 本田 結局、「両方やります」という結論を出したんです。制作時期は重ならないので、本当に両方出来ると思っていました。

本田氏の“大型移籍”にかかわった鈴木敏夫氏 ©文藝春秋

 それでも庵野さんには、僕から話をしなくてはいけないと思ったので「話をする時間をください」と言っていたのですが、時間が取れないとプロデューサーに言われたまま、気づけば半年が経ってしまいました。2017年の6月になって、ようやく庵野さんと会えたのですが、もう鈴木さんとの話し合いが済んでいたのか、「本田さんの好きなようにすれば?」と。長年「エヴァ」に時間を捧げた者としてはちょっと残念な反応でした。