父親という存在は、家庭内でえてして除け者にされがちだが、死してなお家族や親戚に疎まれ続ける例は珍しい。でも、もし自分の父親に家族も知らない別の顔があったとしたら――。
そんな父親の姿を描いた『海を抱いて月に眠る』は、作者・深沢潮さんの実体験が基になっているという。
「在日一世である私の父はとにかく謎の多い人。戸籍上の年齢と実年齢が違ったり、長らく偽名で暮らしていたり。ずっと変だ変だと思いつつもやり過ごしていたのですが、数年前、両親の引越しを手伝っていると、父の荷物から金泳三元大統領と一緒に写った写真が出てきて疑問が再燃。しかも金元大統領とはクリスマスカードを贈り合う仲だと聞いて、ますます“父は一体何者だったのか”と謎が深まりました。そして、これは娘の私が書き記さなくてはならないと思ったんです」
小説では、主人公の李相周(イサンジュ)が16歳で故郷を追われ、日本に密航し他人に成りすまして生きる姿が描かれる。一方、娘の梨愛(りえ)は父・相周のノートを読み進めるうち、父がなぜあれほど横暴だったのか、なぜ子供たちに厳しく当たったのか、真の理由を知るに至る――。
現実を色濃く反映しているという本作。作者の深沢さん自身もまた、父との間にできた溝を埋めるために長い時間を要した。その意味で本作は父娘の“和解の書”であるかもしれない。
「正直言って父のことは全く好きではありませんでした。とにかく厳格で、飲み会に出て遅く帰ったらゴルフクラブ片手に追いかけられたこともある(笑)。今なら娘かわいさに愛情が暴走したと解釈することもできますが、無茶苦茶ですよね」
父と娘の間に生じた葛藤は、在日韓国人という出自と深く結びついていた。
「大学生くらいまで私は自分が在日韓国人であることをひた隠しにしていました。だから父はことさら私に厳しかったのかもしれない。父の話を聞き、この小説を書くことは、かつて否定していた自分のルーツに向き合う時間でもありました」
自分の話に耳を傾ける深沢さんに対し、お父さんは何度も「私の人生なんて大したことがない」とくり返していたというが、
「書き終えた今は、『お父さんはすごい人生をおくってきたと思うよ』と伝えたい。父と向き合ったことで、1人の人間の裏側には豊かな物語が眠っていることがわかりましたから。父の物語を通して、無名の人生の中にある輝きを読者の方が感じてくれたら嬉しいです」
『海を抱いて月に眠る』
親戚にも家族にも疎まれながら死んだ在日一世の父。だが、通夜では、子どもたちも初めて会う弔問客が次々と訪れ父の死を悼むのだった……。父の遺品の中から出てきた古びたノートには家族も知らない父の半生が記されていた。ノートから浮かび上がる父の真実の姿とは。そして子どもたちに伝えたかったこととは?