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親戚の村五郎さんが大穴に落ちた

「お爺様が山道で足をひきずる狐を捕まえようとしたんだ。するとサッと逃げる。また足をひきずるので追うと、またサッと逃げる。これを繰り返していたら山奥に迷いこんだんだ。帰る方角が分からず途方に暮れていたら、村人が探しに来てくれてようやく家に帰れたんだ」

「江戸時代だが、親戚の村五郎さんが、山犬(狼)を捕獲するための罠として掘った大穴に間違って落ちたんだ。ところがびっくり、そこにはすでに落ちていた山犬がいた。一瞬でも相手から目をそらしたらその瞬間に殺られる、ということを知っていた村五郎は、じっと山犬と睨み合ったまま恐怖の一夜を過ごした。翌朝早く、村人に助けられたんだ」

「お父さんは五歳の時、悪さをして厳しかったお爺様に縁側から雪の中に放り投げられた。やさしかったお婆様が、積もる雪の上に土下座して、お爺様の許しを請い、部屋に抱き入れてくれたんだ」

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 こんな話を聞かされているうちに私は、父母や祖父母や曾祖父母がすぐ身近に感じられ、彼等の時代を懐かしむようになった。

藤原正彦氏 Ⓒ文藝春秋

二十五円を握りしめ、肉屋まで猛ダッシュ

 懐かしさを育くむには、父がしてくれたように若い頃の自分や先祖の話をするに限ると思った私は、息子達にひまさえあると昔の話をした。長男がまだお腹にいる時に、私の父は急逝したから、息子達はおじいちゃんを知らない。私は父の話をしばしばした。息子達は父に親近感を持ったのだろう、食卓での会話に毎日「おじいちゃん」が口から飛び出すようになった。我が家では父は生きていたのである。私自身の話もよくした。

「小学生の頃は貧しかったから、月に一度ほどのコロッケは大御馳走だった。日曜の昼前、オフクロに『コロッケ買って来て』と言われた時のうれしさといったらなかった。二十五円を握りしめ、肉屋まで猛ダッシュし、目の前で揚げられた熱々のコロッケを五個買うと、熱々のまま食べてもらおうと帰りは更にスピードを上げたんだ。家の勝手口に飛びこむや息も絶え絶え『コロッケー』と大声で叫ぶと、十秒以内に皆が食卓に集まり、キャベツとソースで舌つづみを打ったよ。あの時の熱いコロッケほど美味しいものはその後食べたことがない」

 こんな話をよくしてやったせいか、子供たちは昭和の歌、戦前の歌ですらじっと聞いてくれる。クラシック一辺倒で嫌味を言う女房とは大違いだ。長男が大学生の頃、部屋から珍しく歌が聞こえるので耳をすますと、「お江戸日本橋 師走も暮れる……」、昭和六年の「日本橋から」だった。「やったー」と思った。「昭和レトロ」が長く続いて欲しいものだ。

藤原正彦さんの連載「古風堂々」「私の代表的日本人」は、「文藝春秋 電子版」で読むことができます。