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《「コロッケー」と大声で叫ぶと…》作家・藤原正彦が「懐かしさを育む」ために子供にしていた話とは?

2024/01/23
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月刊文藝春秋の巻頭を飾る藤原正彦さんの名物連載「古風堂々」の最新第57回を特別に全文公開します。

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「パン屋のおばさんが私の顔を覚えていてくれた」と涙ぐみ

「昭和レトロ」という言葉がしばしば耳目に入る。昭和の歌謡曲、アニメ、CM、ドラマ、レコード、銭湯、純喫茶などがブームになっているらしい。私のような昭和の人間は、テレビで昭和の歌や当時のフィルムが放映されると、「あの頃、中二だったなあ」とか「これは父が音痴丸出しで風呂で歌っていた歌だ」などと言いながら見入ってしまう。

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 ところがこのブームの主役は四十歳以下の若い世代という。今の時代に息苦しさを感じている彼等が、よりシンプルで生きやすかった親の世代に憧れを感ずるらしい。確かに昭和の頃はどの家にもパソコンやスマホはなく、世の中は今ほどせわしくなかった。我が家では昭和三十年代中頃まで電話さえなかったからすべての連絡は手紙で、往復には三、四日かかった。仕事場での文書の量もガリ版刷りしかなかった当時の十倍にはなっているだろう。

 ただし、昭和の方が今より生きやすかったかは分からない。戦争はあったし、公害はひどかったし、農村は今よりはるかに貧しかった。私だって、幼い頃は満州からの引き揚げで生死をさまよい、小学生の頃は、父の給料の半分が住宅金融公庫への返済に回されていたため、一合の牛乳を兄妹三人で分けて飲んでいた。二十代には、寝てもさめても数学に追い回されていて、いつも張りつめた気持だった。女性への憧れは狂おしいまでにあったが、女性に話しかける時間も機会も度胸もなく悶々としていた。今は原稿の締切り前を除きリラックスできるし、女性に関してはバカモテだ。若者にとって昭和の方が生きやすそうに見えるのは、「隣の芝生」だ。

 ただ、昔への親近感は「懐かしさ」という情緒の萌芽となるものである。「懐かしさ」は、故郷を懐かしむ、自分の過去を懐かしむ、父母や祖父母の時代を、奈良や平安の頃を、ローマやギリシアの頃を、といくらでも広がり深まる情緒である。「懐かしさ」は「もののあわれ」などと並び、有限な人生に付随する情緒で、AIがどんなに発達しても持ちえない、人間の最も高尚な情緒の一つと思う。

 小中学生にはこの情緒がまだ十分に育っていない。長男が五年生の時、二年生の夏まで住んでいた英国ケンブリッジを皆で再訪した。女房は「パン屋のおばさんがまだ私の顔を覚えていてくれた」と言っては涙ぐみ、自分が裏庭に植えたチューリップの球根が花を咲かせているのを見つけては、涙ぐんでいた。対照的に息子達は誰一人そんな感情を見せず、「あ、このパン屋さん知っている」「この八百屋さんのおじさん、元プロサッカー選手だよね」といったことしか口にしなかった。懐かしさはどこにも表れず、記憶にあるかないかだけだった。

 私も中学生の頃は似たようなものだった。父が「中学校の帰りに上諏訪でこっそり買って食べた一銭のたい焼きはうまかったなあ」と懐かしそうに話した時、「何だ校則違反の悪ガキだったんだ。どうでもよい値段までよく憶えているなあ」と思っただけだった。父はよく先祖や自分の若い頃の話をしてくれた。