留置所の眠れない日々
警視庁湾岸署の留置所。グレーのスウェット上下に着替えさせられ、独居房に入れられた。
部屋は6畳ほどで、布団と部屋の隅にトイレがあるだけ。廊下との間は鉄格子で仕切られているだけなので、用を足す時も外から丸見えだ。トイレットペーパーも頼まなければもらえない。風呂に入れるのは3日おきだという。
布団は、まったく厚みのない煎餅布団で、夜も部屋の明かりは煌々とつけられたまま。熟睡することなど、とてもできない。眠れない日々が続き、次第に頭がボーっとしてくる。
食事は非常に質素だった。朝は食パンとジャム。昼と夜は、白飯と揚げ物、小さな卵焼きや昆布の佃煮が入った冷えた弁当とインスタントの味噌汁。栄養を考えて作られているものだとは到底思えない。来る日も来る日も、同じメニューが続き、次第に食欲も湧かなくなった。
「やってもいないのに、取り調べで自白してしまった」といったドキュメンタリーなどを見たことがあるが、その理由が分かるような気がした。留置場の環境によって心身のバランスを崩しているところに、連日のように取り調べが続けば、正常な判断ができなくなるのが当たり前のような気がするからだ。
自分の事件の記事は黒塗りにされていた
留置所にいる間は、自分に関するニュースを読んだり聞いたりすることは一切できなかった。
スマホは押収され、テレビも見られないし、当然ネットを見ることもできない。情報入手手段は新聞だけ。ただし、僕の事件の記事は黒塗りにされている。
それでも、他の芸能人の事件の際に目にしてきたから、どのように報じられているか、だいたい想像がついたし、面会に来た弁護士からも話は聞いていた。
ちょうど、公開を控えていた出演映画が3本あったほか、撮影中の作品もあった。僕は俳優業の他にも、未来の暮らしを新たなビジネスモデルとともに創造することをテーマにした企業・株式会社リバースプロジェクトで代表を務めていたが、同社で進行していた案件もある。
そこにかかわるすべての人々に多大な迷惑をかけてしまった。謝って許されることではないかもしれないけれど、なるべく早く謝罪をしなければ――。
留置所で販売されている便箋を買い、机に向かって手紙を書き続けた。仕事の関係者10人以上に書いただろうか。これで許されるとは決して思えないけれど、僕ができることはそれしかなかった。