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「まだ罪が確定していない人間を留置する施設なのに…」

 僕は独居房にいたので、取り調べや面会がない日は、1日中誰とも話すことなく時間がすぎていった。唯一の話し相手だったのが、留置所担当官――いわゆる「担当さん」と呼ばれる警察官だ。

 僕の担当さんは数人の交代制勤務。よく話したのは、そのうち3人ほどで、みんなまだ30歳前後の若手だ。

 留置所では、運動場で身体を動かす時間が設けられている。他の人は、何人か一緒に運動場に行くらしいが、芸能人のように名前と顔を知られた人間が一緒になると、からかわれたりすることがあるそうで、僕は他の人とは別の時間帯に1人で行くように時間割が組まれていた。

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 太陽の光を浴びて、外の風を感じる。少しはリフレッシュになるが、それでも狭い塀の中に閉じ込められていることに変わりはない。

 そんな時に、担当さんと少し言葉を交わした。

 留置所では、基本的に名前ではなく番号で呼ばれる。しかし、個人的に話す時は、担当さんは僕を番号ではなく「伊勢谷さん」と呼んでくれた。

 僕は彼らに率直に問うた。「まだ罪が確定していない人間を留置する施設なのに、人権を無視したような扱いを受けることの理不尽さについて、どう思うのか」と。

「伊勢谷さんの言っていることは分かります。でも、無理なんですよ」

 彼らはそう口をそろえた。

僕にとって最初の“謝罪の場”

 9月30日、保釈の決定が下り、僕は22日ぶりに外の世界へと出ることになった。

 留置所を出た後、別室で弁護士が持ってきたスーツに着替え、髪型もきちんと整えた。それは、報道陣の前に姿をさらすから、という理由ではなかった。この保釈は、僕にとって最初の“謝罪の場”でもあると考えていたからだ。

 不祥事を起こした芸能人が警察署の前で謝罪すると、「誰に謝っているのか」「ここで謝る必要があるのか」などという議論になる。

 しかし、僕の場合は、逮捕によって迷惑をかけた人、損害を被った人が現実にいた。外に出た瞬間に、まず謝罪するのが当然だと思った。

 報道陣が詰めかけているのは想定できた。けれど、湾岸署前で待ち構えていたその数は、僕の想像をはるかに超えていた。

 一歩外に出た瞬間、無数のフラッシュが光った。職業柄、慣れているつもりだったが、自分だけに向けられるあの光は、俳優として浴びてきたものとはまったく違う種類に感じられた。

 息を吸って、前を見据えた。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

 短い言葉にしたのは、むやみに言葉を重ねても本当の謝罪の気持ちは伝わらないのではないかと思ったからだ。

伊勢谷氏の著書『自刻像』(文藝春秋)

 頭を下げている間、様々な人の顔が脳裏に浮かんだ。出演していた映画の関係者、リバースプロジェクトにかかわっていた企業の方々、ともにプロジェクトをやってきた仲間たち――。

 迎えに来てくれた弁護士の車に乗り込み、湾岸署を後にした。

 車窓に東京の景色が浮かび上がる。35年以上住んで見飽きていたはずの東京の景色が、まるで初めて訪れる場所のように感じられた。

自刻像

自刻像

伊勢谷 友介

文藝春秋

2024年1月26日 発売