その気持ちが強くなったのは高校生の時に、後輩の女の子が中絶したという噂を聞いたりしたことがきっかけで。こんなことを思うのはあまりよくないことなのかもしれませんが、お母さんが産んでくれなかったら、僕はこうやっておいしいごはんを食べることもできなかったわけだし、周りの反対を押し切ってでも産んでくれたんだ、と。だからこそ、感謝しています。
芸能界に入り、『炎神戦隊ゴーオンジャー』の主演に抜擢
――芸能界に入るきっかけは、なんだったのでしょうか。
古原 養護施設を出たかった、というのが理由です。18歳のとき、卒園予定の2週間前くらいになって「就職か進学か決まっていないと卒園できないよ」と言われてしまって。そうしたら先生が「この2週間で決まらないと思うから、住み込みの新聞配達の仕事をもう用意している」と言うんです。
別にその仕事が嫌だったわけではないんですが、僕の人生なのに、勝手に話を進められたことがすごく嫌で。「絶対に先生の思い通りにはさせない」という気持ちが爆発したんです。でも進学するお金はなかったし、2週間以内に自分で就職先を見つけることも困難だと思いました。
――それで芸能界に?
古原 はい。もともと芸能事務所にスカウトされていて、芸能界に入りたかったわけじゃないけど、事務所に所属という形なら卒園できるんじゃないかと思ったんです。だから「俺、芸能界に行きます。事務所も決まっています」と先生に言ったら「わかった」という話になり、それで事務所に入りました。
本当は卒園したら芸能界を辞めようかと思っていたんですけれど、すぐに『野ブタ。をプロデュース』のドラマ出演が決まって。それから『炎神戦隊ゴーオンジャー』の主演を務めることになって。
約4年前に知った、母親の死
――『炎神戦隊ゴーオンジャー』に出演することになった当時、周りの反応はどうでしたか。
古原 「おまえ、敵側だろ」って。おまえがヒーローなわけないだろって言われましたね(笑)。僕は学生の時、真面目というより、どちらかというとヤンチャだったので、そんな反応が返ってきたわけなんですけど。
でも、テレビを見た養護施設の子どもたちが「ヤスが目の前でめちゃくちゃ頑張ってる、だからヤスみたいになりたい」と言ってくれたときに初めて、自分が人から必要とされたように思えて。人に認められる瞬間って、意外とそれほど多くないと言いますか。
――お母さまからは何かアクションや連絡があったりしましたか。
古原 いいえ、でも今から約4年前くらいだったかな、お母さんのお姉さんからDMで「アキコ(母)の姉です」と連絡があって。そのときにはもうお母さんは亡くなっていたんです。連絡があった1年前に病気で亡くなったそうで、僕はその連絡で初めて母の死を知りました。
撮影=深野未季/文藝春秋