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 それからまもなくして劇団から独立し、知人の紹介で芸能事務所に入った。このときも当初、社長から見込みがないとの理由で門前払いを食らったが、数日通い詰めて自分をアピールし、ようやく入れてもらえたらしい。

 事務所に入ったもののオーディションを受けては落ち続け、売れる気配もなく小さな仕事をこなすうち、気づけば30代半ばになっていた。社長からはそろそろ潮時だと、スタッフへの転身を勧められる。これを受ければ、本来目指していた演出家の道が開ける可能性もあった。だが、すでに俳優としての生き方が身についていた彼は、いまはまずそちらで認められたいという思いが強かった。そこで社長には1年待ってもらい、それでだめだったら、役者はすっぱりやめると約束をする。

ブレイクへの道を切り開いた「営業活動」

 その後も紆余曲折あるなかで、例年呼ばれていた芸能人の野球大会に出場した。このとき、観客からひときわ拍手を浴びていたのが柳葉敏郎と陣内孝則だった。前年にはほとんど拍手などされていなかった彼らがなぜ? 石田は、両者ともフジテレビのドラマに出演していることに気づく。そこで咄嗟に、自分もフジテレビのドラマに出れば絶対に来るとひらめき、若手マネージャーに、同局のドラマの制作プロデューサーに張り付いて自分を売り込むよう厳命した。

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 この時点ですでに1年の猶予期間も半分をすぎようとしており、その年の7~9月のクールが最後のチャンスであった。石田はいくつかの単発ドラマの話も断って、スケジュールを空けてひたすら待ち続ける。やがて、待っていたドラマが浅野ゆう子と浅野温子のダブル主演の『抱きしめたい!』だとわかる。だが、内定した出演者のなかに自分の名前はなかった。それでも彼はあきらめなかった。その後、ヒロインの相手役の俳優が二転三転し、クランクイン直前になって、ついに出演依頼を受ける。それが1988年のことで、石田は34歳になっていた。

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「トレンディ俳優」としての地位を確立

 じつはこのドラマで、石田の演じる二宮修治は前半で浅野温子にフラれてそのまま退場する予定であった。しかし、視聴者から「二宮修治を消さないで」とのハガキがあいつぎ、最後まで出続けることになる。『抱きしめたい!』はのちにトレンディドラマの元祖と位置づけられ、石田はその後もこの手のドラマにあいついで出演して「トレンディ俳優」と呼ばれるにいたった。

 のちに彼は、《トレンディードラマは、設定こそファンタジーだけれども、登場する人間はリアルだった。僕も、無様でも一生懸命な生き方をさらすことで、観る人が“愛おしいな”って思えるような、そういう共感性の高い物語を提供しようとしていた気がします》と振り返っている(『週刊朝日』2014年11月7日号)。人間をリアルに描いたという意味では、トレンディドラマは“バブル期の『源氏物語』”であったともいえるかもしれない。