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 通信が回復した被災地の避難所からは、一日何回か、まだ現地で頑張っている子たちから連絡を頂戴します。現地で盗難があるという噂でピリピリする中で変な疑いをかけられそうになって参ったとか、普段運動していなかったので被災地では朝から晩まで荷物を運ぶことになり身体が辛いとか、そういう話はたくさん来ます。

 何事もない日常が、こんなにありがたいものなのだと思えたというのは共通した意見で、靴底の薄いスニーカーを履いて現地に行った子が倒壊した家屋のがれきに刺さっていた釘を踏み抜いてしまい帰ってきたのを見ると、学びというのはそういうところにあるのだと思わずにはいられません。

 地方の大学は特に、地方公務員を目指す子たちが一定数いることもあって、公的な仕事で頑張るに当たって、こういう天災が起きたときに率先して住民のために働く使命を負っていることを体験できるのは大事なことだろうと思います。他方で、普段見ていて人格円満で、褒められて育った自信満々の子たちが、現地入りした割と早期からストレスを溜めた被災地の皆さんとのコミュニケーションに行き詰まり、帰ってきてしまう現象が今回特に多いような気がしています。

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同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられない

 落ち着いたところで全員に話を聞きたいところなのですが、少し話を聞いた限りでは、やはり大変な経験をされた被災地の人たちへの同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられるだけの覚悟や準備ができていなかった、ということのようです。  キラキラした瞳で「被災地を助けたい」と両手に同情と善意とを抱えて悲惨な現地に行った若者が、理不尽で不合理な現実に打ちのめされて死んだ魚の目になって帰ってくるわけですよ。

 そもそも天災なんてものは理不尽の塊で、その理不尽な事態で苦労している人たちは疲れ切っており、剥き出しの人格がストレスで表出してしまうのは仕方のないことなのです。

 そして、いまの若い人たちの普段の家庭や学生生活において、存在自体をいきなり否定されたり、身に覚えのないことで叱責されたり、本人なりに頑張っているのに感謝されないどころかまったく認めてもらえず、新たなしんどいタスクをどんどん要求されたりするような過酷な状況は昨今そこまでないんじゃないかと思うんですよね。

 意味のない変な校則に縛られたり、不思議な教師からブチ切れられる程度の経験しかないと、なかなかこの辺の理不尽を捌くコントロールはむつかしいのかなあとも感じます。