何かしてあげて、素直に「ありがとう」と返してくれる人が少数であったとしても、あるいは、挨拶をしても無視してくる人たちが仮に過半だったとしても、気持ちの続く限り何かをしてあげ続けなければならないし、皆さんに挨拶やお声がけを繰り返す必要があります。
かといって、女の子が現地入りして気さくに対応していたら性被害を受けかねない状況になったという話もある以上、なるだけ妙齢の女性は単独で現地入りしないことはやっぱりマストなのかなと思ったりもします。ジェンダー問題というのはある程度状況が落ち着いている環境でしか成立しない面もあるのかなと強く感じるところです。
被災した人たちに対して必要なことは圧倒的な物資とそれに伴う安心感に尽きるのかなあと思うところがあって、あなた方の生活は当面大丈夫ですよと一刻も早く言ってあげられる状況にすることが政治に期待されることなのでしょう。
被災した方々の生活をどこまで復興させるか
他方で、災害復興に関しては東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故の影響で15兆円以上の国富が復興庁などを通じて被災地に注ぎ込まれ、また、熊本地震や北海道胆振東部地震でも激甚災害の指定と共に被災した人たちの生活をどこまで復興させるのかという議論が繰り返し行われてきました。
おそらく、今回被災した奥能登の集落などは高齢者の極めて多い人口構成から、復興で「元の生活に戻す」選択は政策的に採用し得ないことも踏まえて地域や住む人たちにとって何が最善かは考えていく必要があります。
元旦の災害対応としては総理の岸田文雄さんの対応はほぼ完璧だった一方で、限られたリソースの中で、どこまで現地に寄り添って能登半島の復興に力を注ぐべきなのかという程度問題について、きちんと議論していかないとなあと感じる次第です。
…と、ここまで書いたところで、学校でボランティア部なるものに入っている長男が被災地に行くかどうか悩んでいたので、いやせめてちゃんと大学入って超身体鍛えてからにしろよと、親として思いました。