2003年、組織のトップの命令で一般人3人の命を奪ってしまった、「前橋スナック銃乱射事件」実行犯の小日向将人死刑囚。後悔の念にさいなまれる彼を救った「キリストの教え」とは? 新刊『死刑囚になったヒットマン 「前橋スナック銃乱射事件」実行犯・獄中手記』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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私の経歴
私は17歳の頃、新宿のキャバクラでボーイとして働いていました。ある日、ボーイ同士で喧嘩になり、それを見ていた幸平一家池袋の人に「見所がある」と言われ、ヤクザにスカウトされました。後日、その人の池袋のマンションに転がり込みました。数日後、別の組員が私を迎えに来て、そこで初めて矢野会長と会いました。当時はまだ組長でした。
居酒屋で会い、話をしました。それから数件スナックをはしごし、そこで私に両手の指を見せてきました。両手の小指が根元から欠損しており、こう言いました。
「見ろ、まだ8本ある。足の指を入れれば18本ある。何でも好きなことをしてこい。がいまち(間違いのこと)があったら俺が指をけずって(指を詰めて)けじめつけてやる。心配するな、好きにやれ」
どこの馬の骨ともわからないガキに、「俺の指をやる」と言ったのです。自分が逆の立場だったら、同じことを言えるだろうか……。なんと男らしい人だろうと思いました。
そして、「今日から俺のことを親父と呼べ」と言われました。私は嬉しく思いました。「この人についていってみよう」と思ったのです。
その日から矢野組事務所で部屋住み生活が始まったのです。数ヶ月すると親父から「マサ、車の免許とって来い、俺の運転手をやれ」と言われ、私はいくらかの金を貰いました。その金で自動車教習所へ通いました。
その頃と同じくして、私をスカウトした人と池袋で酒を飲んでいた時にその人が店の客と喧嘩を始めたのです。何が何だかわかりませんでしたが、私も飛びました(喧嘩に加勢すること)。しばらくすると、警察官が来て逮捕されました。私は少年だったので、少年課で取り調べられました。私は黙秘しました。あまりにも何も話さないので、知っているマル暴の刑事さんが来て、「小日向、少年課の刑事さんが困っているよ、何とか話をしてくれないか」と言いました。しかし、自分の先輩が、どんな調書を巻いているのかわからないのに、私が勝手に話すわけにはいきませんでした。
だから、差し入れの栄養ドリンクには手をつけませんでした。マル暴の刑事さんには顔を潰すようで申し訳ないけど、そう説明して何とかわかってもらいました。一緒に喧嘩した先輩に、逮捕された直後の別れ際に「全部俺がやったんだからな、お前は止めていただけだからな」と言われていたので、少年課の刑事さんには「俺は止めていただけだから何もしていない」の一点張りで通しました。