文春オンライン

ローリング・ストーンズの“忘れられた”リーダーの悲劇「俺のバンドを取られちまった」――『ROLLING STONE ブライアン・ジョーンズの生と死』

相澤冬樹のドキュメンタリー・シアター

2024/01/27

source : 週刊文春CINEMA オンライン オリジナル

genre : エンタメ, 映画

note

「とにかくブライアンのスライドギターに圧倒されたよ。レコードで聴くエルモアのギターを目の前で実際に弾く男がいるなんて信じられなかった」

 他人のバンドで演奏していたブライアンは、次第に自分のブルースバンドを作りたいと考えるようになる。メンバーを募集中に、演奏を聴きに来たミック、キースと意気投合。ストーンズの歴史が始まる。ローリング・ストーンズというバンド名は、シカゴ・ブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの曲名にちなみ、ブライアンが命名した。

ローリング・ストーンズ © Chip Baker Films

「ミックとキースが作る曲が下品だと毎晩泣いていた」

 最初のアルバムは、チャック・ベリーやボ・ディドリーなどのカバーが大半だった。それはそうだろう。ブルースやR&Bを演りたい彼らはオリジナル曲にこだわりがなかった。それでもアルバムは全英1位に。バンドの成功とともに、ブライアンは方向性を定めるリーダーとして輝かしい評価を受け、20代前半にして人生の絶頂期を迎えた。

ADVERTISEMENT

 ところが時代はビートルズが一世を風靡していた。レノン=マッカートニーのコンビで次々とヒット曲を飛ばす。オリジナル曲を出さないとバンドは儲からない。そんなマネージャーの方針に沿ってストーンズで曲作りを始めたのは、ミックとキースだった。

© Chip Baker Films

 ブライアンはどんな楽器でも即座に使いこなす名演奏者だった。ミックとキースが作った曲でも、『アンダー・マイ・サム』ではマリンバを、『レディ・ジェーン』ではダルシマー、『黒く塗れ(ペイント・イット・ブラック)』ではシタールを操り、曲に彩りを添えた。ヒットの要素を作ったのだが、作曲だけはできない。それがバンド内の人間関係に影響してくる。

「毎晩泣いてたわ。キースとミックの作る曲が下品だと嘆きながらね。2人の作る曲は彼の愛する音楽と違った。自分のものだったバンドが離れていくような気がしていたのよ」(ズーズー 歌手/女優)

薬物と酒におぼれた末に、衝撃的な死を遂げた

 1965年、ストーンズを一躍世界のスターダムに押し上げた代表曲『サティスファクション』の大ヒットは、その亀裂を決定的にした。

「曲を書くリード・シンガーとギタリストが存在感を増し、脇に追いやられたブライアンは自尊心を深く傷つけられた」(キース・アルサム 広報担当)

 ブライアンは次第に薬物と酒におぼれるようになり、かつての輝きを失っていく。録音スタジオにろくに現れず、現れても使い物にならない。“6人目のストーンズ”と言われたピアノの“スチュ”ことイアン・スチュワートが証言している。