ビデオが僕と映画の出逢いのきっかけです。テレビの『ナイトライダー』を録画したり、レンタル店でハリウッド作品とか借りたりして。その後、親が離婚して母子寮にいた時、談話室にあった『霊幻道士』とかのビデオで寂しい気持ちを癒やしてもらいました。
バイト先の店員特典で浴びるように鑑賞
田舎で映画館へ通うカネもないから、ビデオがシアター代わりだったんです。僕がやったバイトも個人経営のレンタル店。『パルプ・フィクション』が注目された時期と重なっていたので、店員特典で浴びるようにミニシアター系映画を観ましたね。
憧れの映画界へ飛び込もうと、まず中学生の時に劇団東俳の募集に応募して合格したんです。が、母から「ウチはカレーに肉なんて入れる余裕もないのに! レッスン料なんか払えないよ」なんて叱られまして(笑)。
その後、15歳でジュノン・スーパーボーイ・コンテストのファイナリストに選ばれ、身一つで17歳で上京。手探りでモデルから現在の俳優の道に入っていきました。
オーディションなしで選んだキャスト
僕にとって父のように大きな存在が山本政志監督なんです。『ジャンクフード』を観て、「この世界で絶望せずに生きられる!」と感激しました。その感動を抱え、監督のワークショップに通いました。良心的な金額で短編を撮影する内容も充実していて、人生最大の収穫でした。『クオリア』の脚本を「面白いじゃん!」と言って、応援して下さった、まさに“心のオヤジ”です。
今回自分で撮ることになり、友人の賀々贒三君に脚本を託しました。彼と侃々諤々議論し、養鶏場という限定された空間を日本の“抑圧の縮図”として描いてもらえました。