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なぜ紫式部の『源氏物語』は評価されたのか

紫式部は『源氏物語』を書いて歴史に名を遺しました。念のためですが、光源氏という超絶イケメンの恋愛遍歴ストーリーであることは、もうご存じですよね? 『平家物語』は滅びゆく平家のお話ですけど、『源氏物語』は源頼朝や義経のお話ではないですよ(笑)。

ただ、いくら面白い小説でも、好きで書いただけでは世には出ません。あの頃は本屋さんもアマゾンもないし、文字を紙に大量印刷する技術もないから、書かれたものはいちいち筆写して貴族たちの間で回し読みしていたんです。そもそも紙自体が高くて貴重だったから、今みたいに誰でも好き勝手に文章を書き残せたわけではありません。

それでも紫式部が『源氏物語』のストーリーを構想して書き続け、それが貴族の間で読まれて、後世にも残ることになった大きな理由、それは地位とお金を持った人が紫式部という才能を“見つけた”からなんです。

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芸術作品には時間とお金がかかります。材料や作業場を用意したり、出来た作品を買い上げたり。ですからパトロン、つまり「こいつはすごい」とその才能にほれてお金を惜しまず出してくれる人が必要なんです。

時の権力者「藤原道長」がパトロンだった

紫式部にもパトロンがいました。それが何と何と時のナンバーワン権力者、あの藤原道長だったんですよ。

道長くらいの著名人なら誰もがご存じでしょう。4人の娘を全員天皇と結婚させて、摂政・関白のポジションを一族で独り占めする摂関政治を行い、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という有名な歌を詠んだ人です。紫式部と藤原道長。同じ平安時代でも歴史の教科書だと別々のページに出ているこの2人は、こういう形でつながっていたんです。

実際は10歳くらい年齢が違う2人ですが、「光る君へ」ではおさななじみの“ソウルメイト”という設定でいくようです。紫式部を「道長妾」と紹介する文献もあるし、本人が書いた『紫式部日記』の中でも際どいシーンがあるので、大石さんがどんなふうにストーリーを膨らませていくか、すごく楽しみですね。