コンテンツではキー局や配信よりも劣り、赤字を出す局も増加中……かつての存在感を失いつつある地方局。それでも、その土地に根付いた情報やコンテンツを提供し続ける彼らが“なくなってはならない”理由とは?

 ジャーナリストの根岸豊明氏の新刊『テレビ局再編』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

地方局の存在意義とは――。写真はイメージ ©getty

「ゆでガエル」になっていないか?

 かつて若いテレビマンがやや深刻な顔で語ったことを思い出す。「ゆでガエル」の話だ。

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 蓋つきの容器にカエルと水が入っている。容器を下から非常にゆっくり加熱すると水は少しずつ温められていく。当初はぬるま湯で温かい。カエルはぬるま湯に馴れてしまう。気づかない程度に少しずつ水温が上がることにカエルは順応し、蓋を破って逃げ出すこともなく、ついに水が沸騰して「ゆでガエル」が出来上がる。

〈自分たちは「ゆでガエル」になっていないでしょうか〉

 彼の問いかけに私は即答できなかった。

「20年後」を問われるのであれば、テレビ業界は大きく変わっていると確信できる。しかし、それがより近接した「10年後」、切迫した「3年後」「5年後」となると話は別だ。そう簡単には答えは出せない。この時点で「ゆでガエル」が始まっているのかもしれないが。

 少々厄介なのは、切迫した「急変」が全国の放送局に等しく訪れる訳ではないところだ。全局ではなく、一部の局に。全系列ではなく、一部の系列に起きるものとなると問題認識は複雑化する(ただ、その影響は一部に留まらなくなることも容易に想像できる)。

 2020年度の民放決算は「赤字決算」が多かった。地上民放127社中、20社が最終損益で赤字を計上した。内訳は系列地方局16社、独立U局4社である。この年はコロナ禍の影響もあった。2021年度決算では民放各局とも売り上げを前年より伸ばしたが、それはコロナ禍前の2019年度には及ばなかった。赤字局は系列局で11と、若干回復している。

 さらに2022年度だが、赤字局は20社あった。そうした逼迫した局が同じエリア、同じ系列内に存在することは、少なからぬ影響を放送業界全体に及ぼす。

 テレビ経営の現在位置は、長く続いた安定期の終盤にあるのかもしれない。インターネットへの対応に苛(さいな)まれながらも会社組織を支える集金力はまだ安定している。しかし、眼には見えない危機が、いま、そこにあるのかもしれない。