2022年に亡くなった、安倍晋三元首相が「嫌悪する」テレビに一線を引き、「好感する」ネットへと傾斜していった出来事とは――。放送法を権力者の都合のいいように改変しようとした「安倍ショック」の内幕を、ジャーナリストの根岸豊明氏の新刊『テレビ局再編』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
安倍元首相と「放送の政治的公平性」
ネットと放送はこの30年、様々な形で絡み合ってきた。両者が競合と融合を重ねる中で、放送はある時、自らの在りようについて強く再確認をする機会を得た。
それは戦後最長の政権運営を果たした、故・安倍元首相が首相の座にあった時の出来事だった。安倍首相はその時、改革(私は改変と称するが)の名の下に「放送制度」を変えることに力を傾注した。2017年秋から始まり、2018年初夏まで続く一連の出来事だった。
政権はその終盤で「綻び」が目立ち始めていた。二つの学校法人を巡る疑惑、「モリカケ問題」は綻びの最たるものだった。「森友学園」への国有地払い下げと「加計学園」の獣医学部新設で安倍政権が彼らに特別な便宜を図ったのではないかという批判の声が上がり、テレビ報道でもそうした批判が増えていった。それは安倍首相には耳障りな話であり、彼はそれを嫌った。
そして、テレビと距離を置き、それに代わるものとしてインターネットテレビを選び、そこにナマ出演して自らの主張を滔々と述べた。2017年10月のことだ。この出来事はまた、安倍首相がその後、「嫌悪する」テレビに一線を引き、「好感する」ネットへと傾斜していくきっかけにもなった。
この出来事には伏線がある。首相のネットテレビ出演より1年8か月前の2016年2月のことだ。この時、「放送の政治的公平性」について国会で盛んな議論が行われていた。問題を提起したのは安倍官邸だった。官邸は、いくつかのテレビ番組の中に見られた政権に対する批判的なコメントやインタビューについて度々クレームをつけていた。これを受け、高市早苗総務相(当時)は、テレビの政治的公平性は、「放送事業者の番組全体」を見て判断するという従来の法的解釈を変更して、「個別の番組」によって判断することもあると国会答弁した。
つまり、ひとつの放送局の放送全体という大きな括りの中で政治的公平性を判断するのではなく、個別具体的なひとつの番組において、もしも一方に偏った意見が放送された場合は、これを法律違反の処罰の対象とすることを示唆したのだ。