そして、「NHKとネットがあれば、民放は不要」と言い切っているかにみえた。改変案はこれ以外にも「外資規制撤廃」という国の安全保障に関わる問題や、空いた周波数のモバイル転用というネット主導の市場経済主義も盛り込まれる運びだった。
メディア界重鎮の説得
こうした安倍首相の放送制度改変に民放連や在京テレビ各社は激しく反応した。
日本テレビ・大久保社長(当時)は「放送が果たしてきた公共的役割と、放送と通信の違いについて考慮がされていない」と強く反発し、民放連幹部も「全く容認できない。国民の健全な世論形成に大きな影響がある。規制緩和や自由な言論という『甘言』の裏で国民生活をないがしろにする、悪しき市場経済の導入が考えられている」と批判した。
別のキー局幹部も「政権は自分の意向を代弁してくれる放送局を作りたいのではないのか」と首相の真意を訝(いぶか)った。マスメディアの先輩格である新聞もこぞってこの改変論に反対論調を採った。テレビの役割、在り方については新聞も全く軌を一にしていた。
論戦の最中、安倍首相と民放連首脳が意見交換で会食の席を持ったが、首相は頑なに持論を展開して譲らず、民放連首脳も真っ向から反対論を述べたため、穏やかに意見を交換するはずだった会食の席が激しい議論の場になってしまったというエピソードもある。
安倍首相は自ら提唱する放送制度改変に固執し続けた。しかし、言論界をリードする新聞、改変の当事者であるテレビの「安倍包囲網」は着実にその網を狭めていった。それに加えて永田町では野党各党がこぞって反対の論陣を張った。
そして、とうとう政府部内でも野田聖子総務相(当時)が首相の考えに否定的な見解を示すなど、改変案に「無理筋」の空気が漂った。さすがの安倍首相も、ここに至ってこの改変論を進めるのは困難と理解した。彼は持論を曲げなかったものの、当初予定していた「規制改革推進会議」での議論を断念した。
最終局面で首相に矛を収めさせたのは、彼が敬愛するメディア界の重鎮の「説得」だったと言われている。安倍首相もメディアとの全面戦争は回避せざるを得なかったのだ。
2018年6月に発表された「規制改革推進会議」の答申に放送法改変案は見当たらなかった。2023年6月の最終答申にも「放送コンテンツをネットで配信する基盤を整備すること」といった当たり障りのない文言だけが記され、当初の過激な民放不要論も影を潜めていた。放送業界を大きく揺さぶった「安倍ショック」はこうした収拾した。そして、放送制度改変論は一旦、棚上げされ、それが再燃する気配は当面の議論からは消えた。