この解釈変更はテレビ報道に対する圧力ではないかと当然ながら各方面で議論を呼んだ(因みに、その一連の出来事の裏側は、7年後の2023年の国会で野党が提出した総務省の「内部文書」で暴露され、政権に批判的なテレビ番組に反発していた当時の首相官邸の内情や、横暴な官邸官僚による圧力の実態が白日の下に晒されている)。
放送法4条の「立法事実」
2016年国会の話を続ける。高市総務相答弁はこの時、放送法の根幹を成す「放送法4条」の解釈にも及んでいた。
放送法4条にはこう記されている。
「放送番組の編集に当たっては──
(1)公安及び善良な風俗を害しないこと。
(2)政治的に公平であること。
(3)報道は事実をまげないですること。
(4)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」
これらの条文は当然であり、至極適正なものだと思う。私たち放送人もこの放送法4条を「倫理規定」として支持し、順守してきた。そして、テレビの「編集権」の根幹を成すものとしてきた。
しかし、安倍官邸と総務相は、この4条解釈に従来とは異なる見解を示して放送法支持者を揺さぶった。新たな政府見解は、放送法4条を「倫理規定」ではなく、違反に際して行政処分(停波)を行うための「処罰の根拠」であるとした。この見解が先述した2016年通常国会の高市総務相答弁に盛り込まれた。
「処罰の根拠法」答弁によって、放送業界の中には前後の見境なく、処罰回避のために「放送法4条廃止」を唱えるものも現れるなど混乱が生じた。
しかし、放送法4条の主旨が「倫理規定」なのか「処罰の根拠」なのかは明らかだった。放送法はその「立法事実」に基づいて考えれば、放送が政府と距離を保ち、自らを律していくための「倫理規定」であると解釈することが妥当だったからだ。
立法事実とは何か。法律を考える時に私たちは先ず、その法律が制定された当時、どんな事実があり、どんな理由で何を目的として法律が作られたのかに目を向けなければならない。その事実が立法事実だ。放送法については、立法の背景に、放送が先の戦争で「大本営発表」を垂れ流し、戦争遂行のための一翼を担ってしまったことに対する反省があった。そして、その反省の上に立って放送は政府と距離を置き、「自律」するべきだという考えが打ち出されていた。
原案を示したのは終戦直後に日本を占領したGHQだった。彼らは日本の民主化にあたって、放送局が「政治的公平」「事実報道」を自律的に守っていくことで民主主義の実現に貢献するものだと確信していた。そして、その象徴が「放送法4条」だった。
4条ばかりではない。放送法にはまた、「字幕・解説放送」(4条の2)、「訂正放送」(9条)、「放送があまねく受信できるように努力する義務」(92条)、「マスメディア集中排除原則」(93条)といった、普段は目立たないが、しっかりと国民生活や福祉に寄与している条文も数多く存在する。
それらの法制度は放送に対する国民の信頼を担保するものである。そうした立法事実や放送の信頼性に対する議論は置き去りにされたまま、安倍官邸の放送法改変の動きは徐々に高まり、2017年秋、遂にその「サブマリン」が大きく浮上した。