――お母さんは怖かったですか。
八田 それはもう(笑)。今なら通報ものだと思いますが、怒られて家から追い出されたりしてました。当時の親は絶対的な存在で、逆らうなんてありえない感じでしたね。
でも、母は働きながらほぼ一手に家事もこなし、教職でもないのにみっちり勉強を教えてくれたわけで、感謝と尊敬もしています。
「東大に入りなさい」母が娘の東大進学を希望していた理由
――東大進学はお母さんの希望だったのでしょうか?
八田 小さい時から「東大に入りなさい」と言われていました。大学の意味もわからないのに、「東大」という単語だけは幼稚園くらいから知っていたくらいです(笑)。
母の父が東大出身だったんですけど、母は自分の父を見て、「東大さえ行けば将来安泰」というイメージがあったんだと思います。
――そんなお母さんの期待に応え、屈指の東大進学率を誇る桜蔭中学校に合格します。
八田 私の人生の中でも、なかなかのハイライトだったと思います(笑)。桜蔭を選んだのももちろん母で、「東大に一番近い学校だから」と。
――小学校時代は塾に通って勉強を?
八田 塾に通い出したのは遅くて、小学6年生からだったんです。それまではずっと、母が勉強をみてくれていました。
といっても毎日じゃなくて、参考書をポンッと渡されて、「1ヶ月後にテストをするからそれまでに覚えなさい」というスタイルでした。テストができていないとめちゃくちゃ怒られるので、期日までに猛勉強して詰め込んでいたんです。
家ではテレビも漫画も制限、好きな芸能人は『三国志』の孔明
――小さい時から勉強に追われていたということで、子ども時代はぶっちゃけ、つらくなかったですか?
八田 楽しみは、週に1回の「大河」でしたね。基本的にテレビはNGで、日曜日の週1回、3時間だけ見ていい決まりがあって、見られる番組も縛りがある中、大河ドラマはOKだったんです。それと、18時からはじまるフジテレビの2時間のアニメ枠。あ、大河は45分だったはずだから、正確に言うと1週間のうち2時間45分だけテレビが許されていたんです。