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荒川線“ナゾの終着駅”「三ノ輪橋」には何がある?

“アトラクション”のような交通機関が走る町#1

2024/01/29

genre : ライフ, , 社会, 歴史

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 そもそも、三ノ輪橋の名の由来は、日光街道と音無川という川を跨ぐ橋にあり、江戸時代には江戸の内と外の境にもなっていたという。

 そんなところに忽然と現れたのが、千住製絨所。簡単にいえば毛織物の工場で、主に軍服用の生地を生産していた。1879年にできた千住製絨所を中心に、周囲には紡績工場をはじめとする関連工場が次々に生まれ、さらに隅田川貨物駅の開業も追い風に急速に工業地帯となった。

路地沿いの住宅が消え、マンション群の町になったとしても…

 1911年には東京市電の三ノ輪橋停留場が開業し、1913年には王子電気軌道も乗り入れた。現在の都電荒川線は王子電気軌道がルーツだ。

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 アーケードの「ジョイフル三の輪商店街」は、王子電気軌道の開業をきっかけとして生まれた商店街だという。こうして、千住製絨所を中心とした工業地帯とそれを背景にした住宅地、商業地として、三ノ輪・南千住一帯は発展してゆく。

 

 千住製絨所は戦後ほどなく民間に払い下げられ、1961年に閉鎖された。その跡地を、はじめは名古屋鉄道が明治村建設地として狙いを定めたが、永田雅一の横やりで東京スタジアムに生まれ変わった、というわけだ。そうした変化のすぐ脇で、三ノ輪橋の停留場や都電荒川線は絶え間なく走り続けてきた。

 

 もしかすると、これからは路地沿いの小さな住宅は少しずつ減ってゆき、大きなマンションが目立つ町に代わってゆくのかもしれない。しかし、どんな未来があったとしても、都電荒川線と三ノ輪橋停留場はそんな町の変化を見ながら走り続けるに違いない。

写真=鼠入昌史

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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