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ーー働きながら一人で2人の子供を育てるのは大変。

なな茶 お金はなかったと思うんですが、なるべく子供に貧乏をさせたくないって、プリキュアとかおジャ魔女どれみの衣装を買ってもらったりしてました。だから貧乏だったって記憶はないんです。ただ小さい子どもが2人もいるのでお父さんも働けなくなって、お金がなくってガスとか電気も止められていたみたいです。

 お父さんが困って市役所に相談したら、父子手当のことを教えてもらって。認定保育園にもはいれるようになって、またお父さんも働けるようになって、まともな生活が送れるようになりました。大人になってからそういう話を聞いて、浜松市にはすごく感謝しています。

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©杉山拓也/文藝春秋

お父さんには相談しずらい悩みも

ーーお母さんとは離婚してからはどういう関係だったんですか。

なな茶 罪悪感もあったかもしれないんですけれど、夏休みで私がご飯を作らなきゃいけないときにこっそりハンバーグを作って持ってきてくれたりしました。お母さんとは仲は良いんですけど、思春期になって生理や下着を買う時はお父さんに相談がなかなかできなくって、そういう時はお母さんが離婚したことを恨んでました。

ーー男親だとわからない部分はありますよね。

なな茶 下着については、高校1年生のときに初めて下着屋さんで胸のサイズを測ってもらったんです。そうしたら「お客様はHカップです」と言われて、えっとなって。それまでしまむらで買ったBカップのブラをずっとつけてたんです。胸が入るには入るんですけど、押さえつけられてグラビアみたいに、ブラの横からはみ出てました(笑)。

 生理についても相談したら、赤飯を炊かれて。しかも近所にいる親戚も全員を呼ぶんです。あまり話したことない従妹のお婿さんとかから「おめでとう」って言われて、嫌だなとかはありました。

©杉山拓也/文藝春秋

ーーなな茶さんは中学生からアイドル活動を始めますが、芸能界には興味があったんですか?

なな茶 中学生の頃から静岡でちょくちょくスカウトを受けてたんですが、全く興味がなくて。バスケットボールを小学4年生からずっとやっていて、バスケット選手になるのが夢だったんです。

 お父さんがもともとモーニング娘。の安倍なつみさんの大ファンで、アイドルが好きなんです。私のことも大好きで。私がアイドルになる前から、私のキーホルダーとか作っちゃうタイプで、お父さんは絶対、私にアイドルになってほしかったんです。