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新たな試みを次々と

 そして1995年、念願のトップとなった真矢は、それまで男役の髪型はベリーショートが決まりだったのをロングにし、化粧もブルーのアイシャドーと赤い口紅をやめ、本当の男性みたいに肌色にするなどした。こうした新たな試みは、劇団の上の人に怒られたり、周囲の人から非難されたりもした。

 しかし、彼女のなかには、リピーターだけではなく、宝塚を嫌いな人も含めて外の人にアピールしなければという使命感が強くあった。写真集を出すと、その思いにますます拍車がかかる。篠山からは「良くも悪くも話題になればいいんだ、何でもいいから賛否が出たらいいんだ」と言われたという(『婦人公論』1998年9月7日号)。1998年の宝塚退団に際しては、日本武道館でソロコンサートをミュージシャンのつんく♂をプロデューサーに迎えて開催した。宝塚では初のことで不安だらけではあったが、成功を収め、最後の花道を飾る。

2008年、バレエダンサーの西島千博と結婚 ©時事通信社

 退団後は、いわゆる芸能界に入るつもりはなく、留学でもしようかなどと考えていたのが、帰宅するため車を運転していると、急に芸能界でやってみようと思い立つ。その際、いままでと同じ環境で女優に転じても何も変われないと考え、仕事は不得意な映像の分野に絞ると決めた。しかし、舞台の出演依頼をすべて断ったため、ほぼ仕事がなくなってしまう。空いた時間は英語のレッスンやジム通いで埋めていたが、心は満たされず、空虚感を抱く。ついにはうつ状態に陥り、一時は自宅でひたすら眠る日々であったという。

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 そんな真矢に手を差し伸べてくれたのは友人たちだった。あるとき、友人の一人に「何のために生きているのかわからない」とつぶやくと、「じゃあ、私のために生きてよ。私はあなたといると楽しいんだから」と返してくれたという(『ゆうゆう』2020年5月号)。家に引きこもる生活は2年ほど続いたが、自分を必要としてくれている人がいると気づくと、そろそろ立ち上がろうと思えるようになり、すると仕事も徐々に増えていった。

「これを逃すと私の未来はない」

 30代の終わりには、人気ドラマの劇場版である『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年)で織田裕二扮する主人公の青島刑事と対立する警視庁の沖田管理官を演じ、女優として大きな画期となる。この役はオーディションで決まったが、その際、「これを逃すと私の未来はない」と覚悟を決めてのぞんだ(『週刊現代』2018年7月14日号)。

 その後、沖田管理官と似たような役柄のオファーがあいつぐも、『踊る大捜査線』に失礼なことをしてはいけないと思い、すべて断ったという(『キネマ旬報』2005年9月上旬号)。それでも仕事は増え、40代に入っても絶えることはなかった。やがて50代を迎え、女優に転身してからも15年以上のキャリアを積み、たいていのことはこなせるようになっていた。だが、人としても女優としても、このまま固まっていっていいものだろうか……と考えていた矢先、オファーされたのが朝の情報番組『白熱ライブ ビビット』の司会だった。これを断る手はないと引き受け、2019年の番組終了まで4年半務めることになる。