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『ビビット』のスタートとほぼ同じくして、芸名の表記も改めた。もともとの芸名である「真矢みき」は、宝塚に入団するとき、母親が「いつまでも真っすぐな心を持って矢のように進んでほしい」との願いを込めた「真矢」に、本名の「美季」を組み合わせてつけてくれたものだった。このとき、「みき」か「ミキ」かで迷ってひらがなを選んだが、50代を迎えたのを区切りとして「ミキ」にも日の目を見させてあげたいと思い、改めたという(『婦人公論』2015年7月14日号)。

「アンチなんて言ってる場合?」

 宝塚では現役の劇団員の年齢は非公表で、退団後もそのまま通す人もいる。そのなかにあって、真矢は自分の年齢について躊躇なく口にしてきた。アンチエイジングが世間で盛んに言われるようになったころには、それに抗うように《「エイジング」ってハッピーなことだと思う。なぜなら年齢を重ねるごとに、豊かなこと、楽しいことがどんどん増えてくるのですから。「アンチ」なんて言ってる場合?》と語ったりもしている(『生き方名言新書 4 真矢みき 願えばかなう!』小学館、2008年)。

©文藝春秋

 とはいえ、当の真矢も歳を重ねるのが実際に楽しくなってきたのは50歳をすぎてからで、《40代の頃は、「大人にならなきゃ」という思いと「若くありたい」という気持ちが交錯していたのかもしれません》と明かしている(『婦人公論』2017年4月11日号)。そこには、40歳のとき、しかも誕生日に父親を亡くしたことも大きかったという。父はその1年前、自分の寿命を予感してか、彼女に、40歳になることについて書かれた本を贈っていた。

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 先にも引用した近著『いつも心にケセラセラ』の最後で真矢は、自分にはつい最近まで白黒つける癖があり、そのことで自分で自分を生きにくくしていたが、《しかし今ここに来て、還暦を機に思うのです。ここからは、頭に巻き付いた固定観念をいかにほどき、捨て去り、右の道なのか左なのか、はたまた獣道を伐採して進むのかを自分らしく笑みをもって考える時期》だと書いている。

 もっとも、彼女は宝塚時代から従来の男役のイメージを打ち破ろうとしていたし、退団後も、自分のイメージが固定化されることをよしとせず、舞台出演を一時封印したり、情報番組の司会を務めたりと常に新しいことに挑んできた。60代に入るに際し、それをもっと余裕をもって、楽しみながらやっていこうということなのだろう。かつての「宝塚の革命児」は、エイジングにおいても革命を起こそうとしている。