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松島 私を噛んだヒョウはメスで、きっと自分に優しくしてくれるジョージのことが好きだったんでしょうね。トニーは現場で唯一の女性だった私のことを気にかけてくれていました。ヒョウはその光景を見て、嫉妬したんじゃないかしら……?

 私はメスヒョウとの三角関係で起きた事故だと思っているんですが、それを言うとみんな笑うの(笑)。ライオンのときもメスだったしね。

「ヒョウは嫉妬したんじゃないかしら……?」©三宅史郎/文藝春秋

――魔性というか、動物のメスに嫉妬されやすいタイプなんですかね。

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松島 私は何もしていないのにねぇ(笑)。のちにトニーの本を読んだら、「トモ子は何も悪くないが、ああいう事態になった原因があるとしたら、彼女の大きな目ではないか」と書いてありました。体が小さいのもあって、向こうは子どもにイタズラするような感覚だったのかもしれませんね。

永六輔が命名した「ライオンの餌」

――「ライオンの餌」というキャッチフレーズを生み出したのは、故・永六輔さんだと聞きました。

松島 永さんの舞台にゲスト出演した際、「今日のスペシャルゲスト、ライオンの餌・松島トモ子!」と紹介されました。ステージの袖にいた私はギョッとして立ちすくみましたが、お客さんがドッとウケてくださったので、まぁいいかと。あれでウケなかったら、「なんてことを言うんですか」と少しは抗議したかもしれませんが(笑)、ウケたが勝ちの世界ですからね。言った永さんもすっかり気に入っちゃった様子で、全く仕方がないなぁと思ったものです。

――生きるか死ぬかの体験をして、人生観が変わりそうですね。

松島 病院で寝たきりになっているあいだ、「私はこれからどう生きたらいいんだろう?」とばかり考えていました。4歳から子役になって、芸能の仕事しかしてこなかったものですから、もし引退となったらどうしようと。いつ復帰できるのか、お医者さんにしつこくたずねましたが、「生きて帰れただけで幸せなんだから」と言い聞かされました。

 復帰してから1年、2年くらいは殊勝に暮らしていましたが、そのうち喉元を過ぎてしまって。エイズの取材でアフリカを再訪もしましたし、大変な思いをしても心底では懲りていないんでしょうね(笑)。

「要するに怖いもの知らずなんですよ」 ©三宅史郎/文藝春秋

――取材にあたって、松島さんの著書を拝読しました。見ず知らずの相手から「車椅子ダンス世界選手権に出場したいから、ダンスのパートナーになってほしい」と手紙をもらって承諾したり、日比谷公園のホームレスに自分から話しかけて友人になり、それをきっかけに米ニューヨークまでフィールドワークに行ったり、好奇心も行動力もあふれていますね。

松島 よくそう言われますけど、私の好奇心は全方向ではないんです。普段は社交的ではなく、むしろとても人見知り。だからこそ、心に触れるものがあったときにエイヤッと全力で飛び込むんでしょうね。要するに怖いもの知らずなんですよ。