この春、拙著『何度でも食べたい。あんこの本』の文春文庫版が発売された。私が暮らす京都を出発点に、全国津々浦々の個性あふれるあんこ菓子とその作り手たちを訪ね歩いた一冊である。今回はそのお披露目を兼ね、以前から興味をもって眺めている「東京と京都のあんこの違いと共通点」について、思っていることを書いてみたい。

なぜこんなにおいしいものを素通りしてきたのか

『何度でも食べたい。 あんこの本』 (姜 尚美 著)
『何度でも食べたい。 あんこの本』 (姜 尚美 著)

 本題に入る前に、私のあんこ歴を少し紹介しておこう。私は、あんこの都ともいえる京都に生まれ育ちながら、ずっとあんこが苦手だった。ところが25歳の頃、ある京都の上生菓子店の「こなし」(こしあん・小麦粉・砂糖を混ぜて蒸し、練り上げたもの)を食べて手のひらを返すように開眼。「なぜこんなにおいしいものを素通りしてきたのか」と自責の念に駆られるも、その悔恨はまだ見ぬあんこへの羨望に変わり、やがて「あんこを知る旅」に出発する原動力となった。今回上梓した文庫版も、日本各地のあんこ菓子を取材した単行本(2010年発刊)の内容に、東アジアあんこ旅を含むその後約7年半分の日記を加えた、あんこ旅の見聞録となっている。

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 さて、そんなあんこ旅の道中で最も興奮するのは、「自分の暮らす街にはないあんこ」に遭遇した時である。私の場合は「京都にはないあんこ」だ。小豆と砂糖と水で作られた素朴な食べ物なだけに直感的・本能的に違いに気づくことができるし、その違いに現地の人々の隠せない好みが透けて見えて、ぐっと親近感が増す。そして、違えば違うほど「なぜ、どうしてそうなったの?」と、その土地やそこに暮らす人々のことを知りたくなるのだ。