甘じょっぱいあんこのおいしさ
私も正直、東京の甘じょっぱいあんこは得意ではなかった。しかし半蔵門にある「一元屋」の「一元最中」をいただきもので食べた時、初めて甘じょっぱいあんこのおいしさというものを理解した。豆のコクと塩気と砂糖の甘みが数日寝かせて熟成させたように一体化しており、遠くに醤油や佃煮に似た旨みを感じる。それがごはんのお焦げを思わせる香ばしい餅皮の風味に何とも合う。当時の日記を見返したら「小豆の色も味も濃い。塩味も濃い。だからお醤油みたいな味。江戸のあんこは濃口醤油ぐらい味も色も濃いものがらしくて好き」と書いていた。
豆の芯からむっくり炊けた粒あん
では、京都も「らしい最中」で勝負だ。北野商店街にある「美福軒」の「京もなか」はどうだろう。御年89歳の伊原三郎さんが3日間かけて5升ずつ仕込む、豆の芯からむっくり炊けた最中専用の粒あんが素晴らしい。使う小豆は丹波大納言、味付けはグラニュー糖のみ。1日目は小豆を炊いてシブを切り、4〜5時間蒸らし、砂糖を加えて煮詰め、一晩寝かす。2日目、再び砂糖を加えて煮詰め、一晩寝かす。3日目、鍋から小豆の粒だけ取り出し、再び砂糖を加えて煮詰め、4〜5時間蒸らし、小豆の粒を戻す。小豆にじっくりと砂糖をしみこませていく、その気が遠くなるような工程を聞いた時、ある京都の老舗料亭のご主人が教えてくれた1週間かけて完成させる豚の角煮のレシピを思い出した。
あんこはそもそも、中国から点心(てんじん。食事と食事の間に食べる軽食のこと)として伝来した肉饅頭や羊肉のスープが変化する過程で生まれたものだと考えられている。そのせいか、取材をしているとあんこ菓子を食事の延長線上にあるものとして語る店主が多い(これは東京と京都の共通点だ)。取材ノートから抜粋すると、「納豆ごはんとか卵かけごはんと同じところで勝負できるシンプルなお菓子を作りたい」(東京・泉岳寺「松島屋」の文屋弘さん)、「やっぱり材料は少ない方がおいしいですよ。お菓子でも料理でも」(京都・祇園「甘泉堂」の山本雅之さん)といった具合だ。あんこを食べるとほっとするのは、それがもともと小腹をやさしく満たす食事であったことを私たちの体が知っているからなのかもしれない。その上で、東京のあんこの味わいは「ごはん的」、京都のあんこの味わいは「料理的」である。そんな風に表現したら、語弊があるだろうか。