裁判官が「角栄さんがお気の毒だった」と語った
――なにしろ40年以上も前の事件です。取材は相当苦労したのでは?
真山 「週刊文春」での連載中を含めて2年以上取材を行いました。当時は同時並行で他に6本の連載を持っていましたが、実質的には仕事時間の7割をロッキードに割いていましたね。
資料や書籍にくまなく目を通すだけでなく、まだご存命の関係者や、一度でも角栄さんを取材したことのある記者にはダメもとで全員当たりました。
たとえば序章で登場する、丸紅ルートの最高裁判決に関わった元判事の園部逸夫さん。どうしても話を聞きたいと、半年以上手紙のやり取りを重ねました。最初は門前払い、そのうち「何も覚えていないよ」とメッセージをくださるようになり、最終的には「何も覚えていなくてもかまわないなら」ということでお会いすることができました。
園部さんにお会いした時に、私はこう話しました。
「法曹が一番大事にすべきはデュープロセス、法の適正手続きの執行ですが、それを無視することに痛痒を感じないんですか?」
園部さんは「あなたはしっかり法律を勉強しているね」と返された。
「答えになっていません。答えてくださいよ」
私が食い下がると、園部さんは、ポツリポツリと話し始めました。
「フワフワと現れて、フワフワと消え去った事件でした」
「思い返せば、あれはなんだったのかと思う事件です。事件が最高裁に上がる前から、深い霧の中を歩いているような感覚が、ずっと拭えなかった」
「(現金授受があったとされる英国大使館裏の路上に実際に行って)こんな人目のつくところで現金を渡すものなのだろうか、と不思議に思った」
最後には、こんなことまで話してくださったんです。
「角栄さんがお気の毒だった。ちゃんと裁判に出て、思うところをしっかり肉声で話してほしかった」
「踏み込もうとすると、危険を感じる領域があった」
真山 また、情報を改めて整理することで湧いてきた疑問を率直にぶつけることも意識しました。「なぜこういう視点で取材をしなかったのか、なぜこういう仮説を立てて動かなかったのか」と問うと、面白い反応が返ってきました。
「当時はそういう視点を持つ時代じゃなかった」
「当時は言えなかった」
「触れてはいけない雰囲気があった」
「踏み込もうとすると、危険を感じる領域があった」
つまり、時代や当時の社会の雰囲気への忖度が明確にあった、というのてす。
「今なら明らかにできるかもしれない。真山さん、よろしくおねがいします」
と、あたかも遺言のように真相追及のバトンを渡されたような、そんな瞬間も多くありました。
そのおかげで、多くの新証言、新事実を掘り起こすことができました。対潜哨戒機を巡る問題、中曽根康弘さんや佐藤栄作さんとロッキード事件との関わりなど、40年前は誰もが踏み込むことができなかった奥の奥へと踏み込んで書くこともできました。勇気をもって話してくださった方々に、心から感謝しています。
――真山さんは、田中角栄は有罪だったと思いますか? それとも、無罪だったと?
真山 「そこを書いてほしい」と言われたこともあります。でも、私はこの本に、「角栄は有罪だ」とも「無罪だ」とも書いていません。それは私のすることではない、と思っているからです。私が今回とりくんだのは、できるかぎりの取材と考察を泥臭く積み重ねて、全体の構図をフェアに、わかりやすく、そして面白く提示するということ。
そこから先は、読者に委ねています。ぜひ考えていただきたい、と思います。
今回、この作品が多くの読者を獲得しているのも、そういった私のスタンスが受け入れられているのかもしれない、と思うと、とても嬉しいです。
間違いなく、私にとってこの『ロッキード』は、「ハゲタカ」シリーズに匹敵する代表作になりました。