立花隆の「田中角栄研究」で、世論が一瞬にしてひっくり返った
――世間が抱いたイメージと実像とでは、随分とズレがある?
真山 叩き上げの庶民宰相として総理にまで上り詰めた角栄は、就任当時は絶大な人気を誇っていました。おそらく一般家庭でも、妻が「あなたも角栄さんを見習いなさい。学歴もないのにあんなに頑張って……」と夫にハッパをかける材料にするような、そんな存在だったのだと思います。
ところが立花さんの『田中角栄研究」が発表され(「文藝春秋」1974年11月号)、その強固な集金システムが一斉に世に知られることとなった。
そこで国民は「結局角栄さんもカネまみれか」「裏切られた」と感じたのです。
世論が一瞬にして熱狂的支持から「角栄ゆるすまじ」へとひっくり返りました。この時にできたダーティーなイメージが、後世の田中角栄像をかたちづくったのではないか。
そして自民党中枢もまた、世論の反転に追随する形で、エリートばかりの永田町にあって間違いなく「異物」だった角栄を見放したのでしょう。
その先にロッキード事件があった、と捉えると、思いこみが外れ、いろいろなものが違って見え始めました。
ロッキード事件を小説にするのは「逃げ」だと思った
――今回真山さんは、ロッキード事件をご自身はじめてのノンフィクションとして描きました。これまでのように小説として書くこともできたかと思うのですが。
真山 小説にすべきだ、ノンフィクションを書くべきではない、という声も周りにはありました。
ただ、ロッキード事件を扱うのであれば、いきなり小説で書くという選択肢はあり得ませんでした。
なにしろ100冊以上の関連本があり、数多くの関係者が文章を残している。報道された資料も膨大です。そんな事件を小説で書くのは「逃げ」だろう、と。いつかはノンフィクションに挑戦したいと考えてもいました。大きすぎるテーマだと思いましたが、挑んでみる決意をしました。
――昭和史のノンフィクションといえば、真山さんと同じく小説家で『日本の黒い霧』『昭和史探訪』を書かれた松本清張さんが思い浮かびます。
真山 『ロッキード』を書くにあたって、実は清張さんの『昭和史発掘』を読み返しました。ひとつ気づいたのは、清張さんの執筆スタイルは「誰も知られていないこんな話がある。だから世間に知られているストーリーとは違う、こんな筋が濃厚だ」という「型」に沿ったものである、ということ。清張さんは正義感が強く、ジャーナリストへの憧れがあった。だから、緻密に取材をして触れた、通説とは異なるファクトをとても大切にして、自分の論を展開していたのだと思います。
ただ私は、清張さんのスタイルでは書けない、とも思いました。なにしろ、ロッキード事件はあまりにも関係者が多く、それぞれの視点によって、見え方も違います。できるかぎり多くの視点から、先入観を排してフェアにこの事件を照らしていこう、と取材に臨みました。