今春、東北芸術工科大学の学長に就任した中山ダイスケ氏。アーティストとしてニューヨークで活躍したのち、なぜ彼は山形にある美大の学長に就任したのか。インタビュー後編のテーマは「これから地方大学が生き残るためには」。

*〈「美大はツブシがきかない」からの脱皮――東北芸工大学長・中山ダイスケ氏の挑戦〉より続く

東北芸術工科大学の学長に就任した中山ダイスケさん ©杉山拓也/文藝春秋

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――これから、大学の淘汰が始まります。いま、全国で780ほどある大学の半分近くが経営難に陥るとみられています。東北芸術工科大学は、地方の芸術大学という特殊な立場にあるわけですが、今後、どういう方向性で経営されていくのでしょう。

 安定した状態をそのまま維持するのは難しいと思っています。

 うちの大学は学生約2400人に教員が100人という小さな大学です。その小ささゆえ、常に何かを改革し続けています。国の要請で行う改革もあるのですが、自主的に「FD活動」という大学内研修も活発にやっています。他の学科の先生同士で互いの授業を見せ合ったりして楽しんでいる。変革に恐れがないというか、常に動いている組織です。

 ただ、いずれにしても、うちの大学は、山形という地方都市にある芸術大学という利点を生かしていかねばなりません。県民には「芸術ってなあに?」「自分には関係ない」と思っている人も多い。まずは地域の方々への理解を深めながら、大学と街が一体となって取り組んでいく。すでに街中で展覧会をやったり、地域から依頼されたデザイン案件への取り組みを通して、山形では、学生たちが日常的にそういう状況に置かれます。学びの場が地域の中にあるわけです。

 その結果、「クリエイティブって何?」ということを、机の上ではなく、外との関わりの中で学んでいくので、世の中と対話ができる学生が自然に育つわけです。今年も9月に山形の街中と大学を舞台に開催される「山形ビエンナーレ2018」にも、街のみなさんとアーティストや学生が触れ合う場面がたくさんあります。

2007年に東北芸工大の教授に就任 ©杉山拓也/文藝春秋

山形の街で実験をする学生も

――都心の大学と違って、地方の大学は、その地域とより深く結びつくことができる。とりわけ、芸術大学にはその結びつくためのポテンシャルがあるわけですね。

 はい。だから、学生の作品にも実にユニークな成果があがってきます。社会問題を扱う学生も多いです。臓器移植の問題を絵本にした人や、色覚障害を扱ったもの、新聞というレトロメディアを多角的に解剖したり、精密な構造の仕掛け時計が、最後は手書きの文字で時刻を教えてくれるという、新しいのか古いのかよく分からない傑作も生まれたりしています。

 障がい者に対するセックスボランティアの人たちをテーマにして、彼らのことをちゃんと世に知らしめるため、セックスボランティアって知ってますか?とポケットティッシュに印刷して配るというプロジェクトが発表されたり。なんだか手法は渋谷っぽいんですけど、山形でそれを考えちゃうことが逆に面白かった。

 また、うちの学生はよく動きます。震災復興のプロジェクトでは、学生が六本木のアートイベントに出向き、そこで沢山の木製ベンチをつくり、被災した女川町に寄贈しました。小さなベンチひとつで街のシーンが変わることを学生は知っていて、大きな施設を必要としない支援を、わざわざ東京の真ん中で考えてみる。そんな実験をするチームがいくつも現れたりもしました。

 街に広がるクリエイティブ・フィールドというものが、うちの大学が山形に、東北にあることの大きな理由にもなっていますし、これは、その後も大きな特徴になっていくと思います。