『一月の声に歓びを刻め』で監督を務めた三島有紀子。09年以来、『繕い裁つ人』、『幼な子われらに生まれ』『ビブリア古書堂の事件手帖』『Red』などのヒット作を手掛けてきた彼女に、映画監督を志した幼き日々を尋ねた。(全2回の前編/続きを読む)
明るく元気に駆け回っている子供だったと思います。
――ご出身は大阪ですよね。
三島 大阪の堂島です。大阪駅のすぐ近くのオフィス街で、映画館がすぐそばにある街でした。いまはなくなってしまいましたけど、以前は本の問屋街でもあって、幼いころは平積みされた本のあいだでかくれんぼをしたりしましたね。
4歳のとき、父に連れられて大毎地下劇場という名画座で観たのが『赤い靴』(1948)です。初めての映画体験は強烈なものでした。こんなに美しい世界があるのかって。いまだに忘れられません。
明るく元気に育っている子どもだったと思います。でも新作映画の登場人物、れいこが6歳のとき性暴力に遭うように、私にも似たようなことがあって。
――今回の『一月の声に歓びを刻め』は、三島さんが6歳のときに受けた性被害をモチーフとした映画です。被害に遭われたあと、心と体にはどんな影響がありましたか?
三島 初めは親にも言えなかったんです。でも会いに行った友だちのお母さんがなにかおかしいなと気になり、親に連絡して、警察に通報しました。婦人警官がやって来て、そのときの状況を聞かれて。周囲の反応などを見るうちに、自分はみんなを悲しませることをしてしまったんだと感じました。
なぜでしょう。誰に言われたわけでもないのに、自分の体はけがれてしまったと思い、この肉体をどうすれば清められるのか、どうすればなくせるのかって、ずっと考えていましたね。映画を観たり、小説を読んだりしていたので、いろいろわかるんです。台所の包丁でおなかを刺せばいいのかとか、堂島のビルから飛び降りればいいのかとか。
自分の肉体から精神が離脱したような、天井から自分の肉体を見るみたいな状態でずっと生きていました。そんなときに『赤い靴』を思い出したんです。最後に主人公が列車に飛び込み、みずから死を選ぶのを思い出して、死ぬことはいつでもできるなって。
と同時に、私はいま生きている、生きることを選んでるんだって思えたんです。そう思ったら気が楽になって、自分で選択したこの時間を好きなことに使おうと。それで映画館に通うようになっていくんですね。