世界的な英ロックバンド、クイーンが2月、米ヴォーカリストのアダム・ランバートを率いて来日。全国各地で観客の心に深く刻まれるライヴを繰り広げた。2018年公開の映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットを受けて始動した「ラプソディ・ツアー」。20年に続き、2回目の来日公演となった。
今回も、クイーンのリード・シンガーであるだけに止まらない稀代のヴォーカリスト、フレディ・マーキュリー(1946~91)へのオマージュが会場の感涙を誘い、「フレディ伝説」に新たな1ページを加えた。
もういないフレディ。しかし、不在とは「いない」ことではない。
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フレディをはじめ、ギターのブライアン・メイ、ベースのジョン・ディーコン(既に引退)、ドラムのロジャー・テイラーの4人がクイーンとして歩み出したのは、1971年のことだった。
73年、「戦慄の王女」でデビュー。以来、「クイーンⅡ」「オペラ座の夜」「華麗なるレース」「世界に捧ぐ」「ザ・ゲーム」「イニュエンドウ」などの名盤を世に問うてきた。
日本のファンたちの熱狂は、クイーンが世界的なロックバンドへと駆け上がる原動力の一つになったとも言われる。日本はクイーンを愛した。フレディを中心にクイーンも、日本を愛した。
その間、奇怪な名曲「ボヘミアン・ラプソディ」をはじめ、「キラー・クイーン」「伝説のチャンピオン」「愛という名の欲望」「地獄へ道づれ」など、スタイルも様々なシングルをヒットさせた。大半はフレディ作詞作曲の作品だった。
だが、活動は91年のフレディの死によって中断した。
後ろ向きで前進する
享年45。さみしい。クイーンはどうなっちゃうのかな。こんな思いに暮れたファンも多かったと察せられる。しかし、その後、クイーンの楽曲は懐かしい曲にカテゴライズされず、何度でも蘇り、何度でも新時代の人々の心をも捉えてきた。クイーンはフレディを見つめ続け、歩みを止めなかった。
それは後ろ向きのまま全力疾走で前進してきたともいえる。そうしなければ、ブライアンやロジャーは、友の死に耐えられなかっただろう。癒しがたい死の喪失感の中で、フレディ伝説は産声を上げた。