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 切なさ、脆さ、哀しみ、明朗さ、猛々しさ、あくどさ、雄々しさ、神秘、不思議、ユーモア……。曲ごとに、ダイバーシティ(多様性)に満ちたムードが表現されている。

 曲調に応じ、フレディの歌声もブライアンのギターもニュアンスを変える。哀しみは底も深く心を蝕み、明朗さは燦爛と輝く。そこに聴く者を祝福する波動が生じる。

 聴衆に幅広く訴えかけるダイバーシティを主に担っていたのが、紛れもなくフレディの音楽性だった。どの曲も気軽に聴けるが、よく聴けば細工の跡は名人芸。歌の細部に耳を澄ませば、金銀各色、秘色(ひそく)までそろえた糸の文目が、聴く者の気をそらさない。超高音を要する難曲も多い。

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差別意識を歌声と楽曲で振り払った

 ステージ上のフレディの身体的パフォーマンスも人目を引きつけた。悪趣味で不格好な姿も含め、観客を沸かせた。周囲からのセクシュアリティをめぐる差別意識、ルッキズム(人の外見に基づく差別意識)もなんのその、極上の歌声と楽曲で振り払い、突き抜けた。

1985年、ライヴ・エイドでパフォーマンスをするフレディ ©AFP=時事

 フレディの曲「ドント・ストップ・ミー・ナウ」のヴィデオクリップで大写しになる、歌うフレディの突き出た大きな前歯も、あたかも大いなる存在の証であるかのように、また鋭い発声に伴う唾液の飛沫すらパフォーマンスに欠かせない構成要素のように思われてくる。

「ドント・ストップ・ミー・ナウ」のオフィシャルビデオ(クイーン公式YouTueチャンネルより)

今回のアダムの歌声は…

 もちろん、今回の来日公演でも、これらの名曲群は演奏された。

 超高音域の発声を安定的にこなすアダム。彼はレッド・ツェッペリンの曲も成立させる歌声の持ち主だ。この桁外れの歌声によって、クイーンの楽曲はなんとか成立している。英ロックバンド、デフ・レパードのヴォーカル、ジョー・エリオットが「クイーンの曲を歌うには20人のヴォーカリストが必要だ」とたとえたように、フレディの歌声は千変万化した。単純に比較するのはアダムに酷というもの。

 それでも、今回も「イニュエンドウ」(91年)収録の「ショウ・マスト・ゴー・オン」を見事に歌い上げるアダムの姿に、フレディは目をきらきらさせて賛辞を贈りつつも、「どうやって声を出しているの?」と聞きたかったに違いない。

札幌公演にゲスト出演したGLAYと、クイーン+アダムランバート。クイーンが札幌でライヴを行うのは42年ぶりのことだった(クイーン日本レーベル公式Xより)

フレディの「不在」が示す圧倒的な存在感

 亡くなった人々は「去る者は日々に疎し」で、忘れ去られてゆく傾きがある。しかし、特別な「不在」となると、同時代人の思い出や嘆き、哀惜の念、怒り、憧れなど何かとてつもないもろもろを吸引して、現実の世界で圧倒的な重みのある「存在感」を示すこともあるのだ。

 そんな「不在」を母胎にして、伝説化が進行していく。しかも、フレディの伝説は、同時代人がまだ生きているがゆえに、うっすらと体温を帯びている。