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さらけだすことに価値がある

――冒頭、およそ4ページにわたって、解散に対する率直な思いが綴られています。でも読み進めていくうちに、その気持ちには日によって波があったのかなとも思いました。

モモコ 私は心配性なので、BiSHの人気が上り調子であればあるほど、それっていつか下降していくということだよな、と考えていました。メンバー間の雰囲気も悪くなってしまうのではないか、という不安もあった。だから、“解散宣告”を受けたとき、BiSHのことは愛しているけれど、「東京ドームという終わりがあるなら、そこに向かってこのままみんなで楽しくやっていくのもいいのかも」と思いました。その意味で「よかった」と。

 でもライブでお客さんに会ったり、メンバーと何気ない会話をしているときに「ああ解散って寂しいな」と、身体で悲しみを感じるような瞬間もあって、常に揺れ動いていましたね。

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 解散発表後は、たくさんのメディアから取材を受けて、「解散と聞いたときにどう思いましたか?」と質問されることも多かったです。でも、正直答えるのがすごく難しかった。「よかった」と言えば、その部分だけ切り取られてしまうかもしれない、そしたら他のメンバーやファンはどう思うんだろう、とか色々考えてしまって。結局定型文のように答えざるを得なくて、本当の気持ちを上手く伝えられたとは思えませんでした。『解散ノート』では、自分の見た景色を自分の言葉で記すことで、「私にとっての解散はこうなんだ!」と皆さんに提示したかったという気持ちもあります。

©文藝春秋

――最初から世の中に出そうと思って書かれていましたか。

モモコ いえいえ。幼い頃から日記はよく書いていたので、その延長のイメージで書き始めたんです。でも、解散まであと1年となったとき、これは本にして届けたい! とはっきり思って。

 解散が公式発表されて、その後BiSHはライブをたくさんやったのですが、その1回1回が来てくれた人にとっては最後のライブになるかもしれないと思いながら、私はステージに立っていました。その人たちが、『解散ノート』を読んだときに、私はここに確かにいたよ、と振り返れるような本にしたい、と思って。なので、最後の1年、ライブの後はどんなに疲れていても必ず書いていました。体力的に書くのがしんどいなという日もありましたが、「東京ドーム」という明確なゴールがあったからこそ、書き切ることができたのだと思います。

 最後の1年に限らず、『解散ノート』のどの日もリアルタイムで書いていましたね。時間が経つと記憶があやふやになるし、無意識に過去を美化してしまうのも嫌だったので。

©文藝春秋

――過去のエッセイ集『目を合わせるということ』『きみが夢にでてきたよ』に比べて、本作では一層ご自身をさらけだしている印象を持ちました。ここまで赤裸々に書いたものを刊行することに、ためらいはありませんでしたか。

モモコ 過去2作は、「書いてみませんか?」と誰かから手を差し伸べてもらって書いたものでした。いわば受け身というか、BiSHのことや自分のことを後から振り返って書くイメージだったんです。でも、『解散ノート』は、誰かに頼まれたわけでもなく、ただ書きたいから書いたもので。自分を客観視することなく、その時々の自分をそのまま書いた、いわばドキュメンタリーだと思っています。だからこそ、恥ずかしいこともたくさん書いてある。でも、本として世の中に出すならば、隠したい部分をさらけだすことに価値があると思ったんです。その覚悟がなく、綺麗な部分だけを見せたいならば、私が出す必要はないと。なので、実際に日々書いていたものと、『解散ノート』として刊行したもの、内容はほとんど変わっていません。